かつて日本は美しかった

誇りある日本、美しい日本へ

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GHQの呪縛、プレスコードは生きている

「戦後」はまだ続いている。


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 昭和20年(1945年)9月21日、大東亜戦争後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって書物、新聞などを統制するために発せられた規則「日本新聞遵則」(プレスコード)が発せられ、日本の言論は厳しく自由を制限させられました。具体的には以下の内容が調べられました。


 ・連合国軍最高司令官(もしくは総司令部、以下SCAP)に対する批判
 ・極東国際軍事裁判批判
 ・SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判
 ・検閲制度への言及
 ・アメリカ・ロシア・英国・中国他連合国、朝鮮人、国家を特定しなくても連合国一般、満州における日本人取り扱いについて、それぞれへの批判
 ・連合国の戦前の政策に対する批判
 ・第三次世界大戦への言及
 ・冷戦に関する言及
 ・戦争擁護・神国日本・軍国主義・ナショナリズム・大東亜共栄圏その他の宣伝
 ・戦争犯罪人の正当化および擁護
 ・占領軍兵士と日本女性との交渉
 ・闇市の状況
 ・占領軍軍隊に対する批判
 ・飢餓の誇張
 ・暴力と不穏の行動の煽動
 ・虚偽の報道
 ・SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
 ・解禁されていない報道の公表


 検閲は一般の手紙にも及び、日本人にやらせるのです。100通の手紙を検閲して、5通が怪しいといって提出すると残りの95通を別の人にやらせて、もしズルして隠したことが発覚するとクビにするのです。即刻クビですから食糧不足の時代ですから明日から食べるものがない。実に卑劣なやり方です。


 広島の人なら峠三吉の詩「にんげんをかえせ」が発禁処分に処されたことをご存知の方もいるでしょう。終戦直後、アメリカの原爆投下を批判した鳩山一郎の記事がもとで朝日新聞は発行停止を喰らったことがあります。


 プレスコードはよく見ると現代に生きている部分があります。「神国日本」などそうでしょう。政治家が「日本は神の国」と発言するとマスコミは大バッシングを始めます。以前、毎日新聞ニュースで2・26事件の記事がでており、決起軍である青年将校の遺書を紹介していましたが、意図的に掲載しなかったと思われる一文がありました。「孝よ生を神州に享くる者只国に報ゆるこそ第一なれ」。学校教育やマスコミでは軍人の偉業を讃えるようなことはしません。テレビのニュースでは「我が国」「わが日本」というような表現はせず、「政府は」「政府与党は」という表現をしています。自分の国を「この国は・・・」と表現するのも聞かれます。第三者的視点にたって論じることは当然あるのでしょうが、「わが国」と表現すべきところでも使われていると思います。ナショナリズムにつながることを封じ込めてきた名残でしょう。


 平成19年(2007年)に安倍総理(当時)がインドに訪問して、チャンドラ・ボースの遺族に会ったことをマスコミは報道しませんでした。インド独立を日本軍が支援していたからです。戦争擁護、大東亜共栄圏につながるプレスコードにひっかかったのです。
 NHKや朝日新聞は支那、朝鮮批判には控えめでしょう。"シナ批判禁止"は現在では日中記者交換協定というものに変化して批判がかけないようになっています。
 以前、関門海峡で自衛隊の護衛艦と韓国船が衝突したとき、テレビニュースで大々的に報道しましたが、韓国側が全面的に悪いとわかると、報道を見事なまでにピタっとやめました。朝日新聞は犯罪を犯した朝鮮人は通名を使います。「北朝鮮」という呼び方も少し前までは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と長々しく書き、テレビでアナウンサーもそうしゃべっていました。「北朝鮮」と簡単に言えるようになったのは小泉首相(当時)に金正日総書記が、日本人の拉致を認めてからです。広島では北の核に極めて寛大でようやく最近になって批判が少しでてきたぐらいでしょう。


 「シナ」と呼ぶと差別だといわれるでしょう。石原都知事がそうよんでマスコミからバッシングを浴びていたことを思い出します。シナは英語のチャイナと同じなんですが、それは差別といわれないのです。「中国」というのは周辺の民族を野蛮人扱いして「東夷」「西戎」(せいじゅう)「北狄」(ほくてき)「南蛮」とよび自分の国だけを高い位にして呼ぶときの自称の言葉です。「東夷」は日本が含まれます。これはGHQプレスコードではなく、中華民国からの要請で、昭和21年(1946年)6月に公文書化されマスコミや学校から「シナ」の文字は消えました。ほんとは日本が「中国」と呼ぶのはおかしいのです。


 このように日本はまだまだGHQの呪縛から逃れておらず、マスコミは依然としてGHQの忠実なる下僕を続けているのです。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史」(続)渡部昇一(著)
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 文春文庫「閉ざされた言語空間」江藤淳(著)
参考サイト
 WikiPedia「プレスコード」「日中記者交換協定」「支那の呼稱を避けることに關する件」


添付画像
 東京都中央区築地にある朝日新聞東京本社 Auth:PRiMENON(CC)


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【絶対正義GHQ】
http://www.youtube.com/watch?v=wEpg_n_MiYY


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浸透したマルクス階級闘争史観

知らず知らずに洗脳されていた日本人。


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 小林よしのり著「天皇論」で小林氏の助手のぽかQ君が皇居の一般参賀で「天皇陛下万歳」とまわりにつられてやりましたが、その後、懺悔するところが書かれています。

ぽかQ君
「実は万歳するのをためらった。俺はすごく抵抗があった。あの人たちが階級の頂上で、俺なんか底辺の身分なんだろうなあと思って!」

 こうした階級闘争史観は学校教育やメディアを通して日本人に浸透している感があります。歴史教科書では古墳は富と権力の象徴、貴族や武士が農民を搾取した、明治憲法は天皇が最高権力者、などと書いているものがあります。天皇は特権階級でも権力者でもないのですが、刷り込まれた人は天皇を特権階級とみなし、国民と対立軸にみるでしょう。

 実は私の妻も同じで、ある日私は聞いてみましたら、
「いつも一流のものを身につけ、一流のものを食べている特権階級の人」と答えました。ヤレヤレです。天皇は無私の存在であり、国民の安寧のために祈られる祭司王であることを教えなければなりません。

 また私の妻は企業も搾取的なものと捉えているようです。何か特別な主張を持っているというより自然にそんなイメージを持ってしまっているようです。経営者と労動者を対立軸に考えています。
 日本型企業というのは日本の「村社会」を肩代わりしており、わかりやすいところでいえば冠婚葬祭を手伝ったりしているでしょう。退職金制度などの福利厚生もそうで、老後や社員の家族らも含んだ考え方をします。そして日本型企業は理念型経営であり、「金儲け」でなく、「企業理念」を中心におきます。企業の所有者は株主というより社員に重きをおきます。そして企業活動の目的を顧客、社員、株主、地域社会といったステークホルダーズを融合したところにおきます。欧米などではやたら多い役員がバカ高い報酬をもらい、株主が利権を主張しますが、日本ではそのようなことはありません。

 学校教育やメディアの報道に染まってしまうと、ポカQ君やわが妻のようになると思います。もちろん私も社会人になったばかりのときは同じでした。

 会社で退職するときに余っている年休を全部消化したいという社員がいると思いますが、階級闘争史観でみると労働者の権利であるとし、経営者と対立軸で考えます。権利は行使するもの、それによって生ずることは会社が何とかするもの、と考えます。おそらく「それはそうだ」という人が多いと思います。しかし、日本型の考えは年休というものは一人が年間これぐらい休んでも周りの人や顧客に迷惑がかからないだろう、一年間通して計画的にそれぞれ取得していきましょう、という考え方をします。上記に書いたようにCompany by employee's(会社を構成するのは従業員)という考え方があるのです。そしてCompany for stakeholder'sといって会社は誰の"ため"のものかを追求しています。

 メディアも弱者に注目して権威や権力を敵視する報道をしますね。以前、派遣村のことが話題になったことがありますが、派遣でクビになった人にスポットを当てて企業がひどい、政府が悪いといわんばかりの報道をします。不況になる以前は派遣社員の組織にしばられない生き方、生活に仕事をあわせる生き方にスポットをあてて賞賛していたはずです。派遣村がマルクス系のイデオロギーに利用されていることも報道しません。

 このように我々は何でも階級闘争を通して物事を見る癖をつけさせられているのです。この階級闘争の思考はユダヤの二元論的思考法がもとになっており、マルクスが虚構理論を作ったのです。このような見方では物事の本質を見誤る危険があります。これは注意しなければならないことでしょう。



参考文献
 小学館「天皇論」小林よしのり(著)
 週刊東洋経済2006.2.18「ミスターWhoの少数意見 リンカーンと"会社は誰のもの"」
 日新報道「日本人に謝りたい」モルデカイ・モーゼ(著)
 
添付画像
 皇居を大手町付近から撮影(JJ太郎 PD)


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日本嫌いの日本人「ジパノフォビア」

おそろしきジパノフォビア。


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 教育学博士の若狭和朋さんは16世紀に最盛期となった「太陽の没することなき帝国」スペイン大帝国はイスパノフォビア(スペイン嫌悪)という自虐に陥り凋落していったと述べています。

イギリスを自慢しているやつはイギリス人だ。
ドイツの悪口を言っているやつはフランス人だ。
スペインの悪口を言っているやつはスペイン人に決まっている。


 イギリスやオランダがスペインに対してプロパガンダ攻撃をしたためスペイン人は自虐に陥っていったのです。以下、プロパガンダの一部です。
「彼ら(スペイン人)は村々へ押し入り、老いも若きも、身重の女も産後間もない女もことごとく捕らえ腹を引き裂き、ずたずたにした」
「彼らは、誰が人たちで身体を真っ二つに斬れるかとか、誰が一撃の下に首を切り落とせるか・・・賭けをした」
「漸く足が地につくぐらいの大きな絞首台を作り・・・13人ずつその絞首台につるし・・・生きたまま火あぶりにした」


 こうしたプロパガンダによってスペイン人は自信を喪失し、自己嫌悪に苦しみ、自虐に親しみ、寂しく自国を嘲笑する国民になってしまったのです。

 これは現在の日本人にも言えることで、GHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによって日本は侵略国家だった悪いことをした国だと教えられており、捏造の歴史で内外から攻撃されている通りです。「南京虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」・・・

 以前、ブログで「フランクフルト学派」の記事を書いたとき、こんなブックマークコメントが入っていました。
《「誇りある日本、美しい日本へ」最近そういう人は発見即非表示にしています 》

 日本に誇りがもてない、ジパノフォビア(日本嫌い)の例といえます。案外多くいると思います。普通に生活していくと学校教育やメディアのせいでそうなると思います。

 上智大学名誉教授の渡部昇一さんも著書の中で警告を発しています。
「日本人は日本人自身の目で日本の歴史を見るのではなく、占領軍あるいは復讐意識で凝り固まったチャイニーズ、コリアンたちの目で歴史を見るように仕向けられた。とりわけそうした"色眼鏡”をかけさせられ反日的日本人になったのが、日教組の手で戦後教育を受けた世代の人たちです。」

 渡部昇一さんの娘さんはジュネーブの日本人学校で教えているそうで、日本の外交官や商社マンの子弟が大勢きています。ある日子供の作文にこんなことが書いてあったそうです。

「日本がアメリカから原子爆弾を落とされたのは自業自得だと思います。」

 おそろしきジパノフォビアです。英国も植民地を失い国民が自虐に陥ったときがありました。米国もベトナム戦争で負けたときに自虐に陥ったときがありました。どうやって立ち直ったかというと教育改革でした。しかし日本の現政権は日教組がバックにいるため、教育改悪しかできないでしょう。日本嫌いの日本人が増えていくことが懸念されます。



参考文献
 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 徳間書店「日本を賤しめる『日本嫌い』の日本人」渡部昇一(著)
参考サイト
 WikiPedia「スペイン」
添付画像
 16世紀のスペインのガレオン船(PD)


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戦後になって民主主義になったというウソ

戦後日本人はウソを教え込まれた。


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 戦前は民主主義ではなく、戦後になってGHQが日本を変え日本国憲法が定められ民主主義になりました、と私は教えられて育ちました。ああ、GHQってありがたかったのか。戦前はひどかったのか。日本人は解放されたのだ、と思って大人になりました。

 ポツダム宣言という連合国から日本の降伏条件を記した宣言書の十項にこう書かれています。


「日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化における一切の障害を除去すべし」

 「民主主義的傾向の復活強化」と書かれており、戦前民主主義的傾向があったと言っています。これはイギリスの日本専門家であるサムソン卿が加筆したものです。

 昭和21年1月1日に昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」を発布し、一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。 一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし・・・と明治天皇の五箇条の御誓文を提示し、日本には独自の民主主義があることを強調しています。明治天皇の五箇条の御誓文は自由民権運動、大日本帝国憲法につながっています。

 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」で有名な武士道を説いた「葉隠」にも「正義」という分別に対して自分の信じる正義が確認され、実証されるためには、第三者の判断を待つ、という民主主義の原理が取り入れられており、古くからの日本の伝統であったことが伺われます。

 戦争中は戦時体制として軍部が主導権を持っていましたが、もともと日本には民主主義の考え方があったのです。戦時体制化でも国民の声の影響力は強く、東條英機は首相のときに、市中に出かけ、衣料品が不足している、おしめに困っている、砂糖が足りないなどの主婦の声を聞いてまわっています。対米開戦に踏み切ったのも国民が支持したからです。幣原外交に代表される弱腰外交に怒り、アメリカの執拗な嫌がらせに国民が怒ったのです。

 戦後の婦人参政権や男女平等に基づく労働基準法というのは実は大日本帝国憲法下の帝国議会で日本主導で行っています。婦人参政権はワイマール時代にドイツ留学した堀切善次郎内相と大正デモクラシーの普通選挙法を担当した坂千秋次官で行われています。大日本帝国憲法は先に書いたように五箇条の御誓文、自由民権化運動の結晶であり、運動婦人参政権や労働基準法を認めるのになんら障害にはなっていなかったのです。言論の自由や結社の自由は東久邇宮内閣が組閣(昭和20年年8月17日)直後に方針を出しています。

 このように何でもかんでも戦前は悪で、戦後のGHQが与えた民主主義によって光がもたらされたというのはGHQがつくったウソで、GHQに媚びるマスコミや知識人たちが広め、彼等はそういってきた以上、自分達の権益を守るため「ウソでした」とは言えなくなって今日に至っているのです。



参考文献
 小学館文庫「『真相箱』の呪縛を解く」櫻井よしこ(著)
 PHP新書「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政(著)
 文藝春秋「父が子に教える昭和史」『民主主義』岡崎久彦
 中公文庫「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子(著)
 新潮文庫「葉隠入門」三島由紀夫(著)
参考サイト
 昭和天皇「新日本建設に関する詔書」(国立公文書館)
  http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=A04017784700
 WikiPedia「五箇条の御誓文」
添付画像

 動画より


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封印された動画.flv

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松下幸之助に見る武士道

武士道は受け継がれていた。


Srsa


 今の平和な時代は死を傍らに意識して生活したり、命をもって事にあたるような必要はないし、そのようなことは存在しないようにも見えます。面白い話があります。
 松下電器(現パナソニック)を創設した松下幸之助さんのエピソードで松下電器の洗濯機が他社に大きく差をあけられてしまったときのこと。会議上でのやりとりです。

幸之助
「他メーカーに劣るような洗濯機をつくっとったのでは、後れをとるのは当然や。将来のことを考えても大問題だと思う。なぜ、そんなものができたのか。きみ自身が本当に命をかけて洗濯機というものをつくっていないのと違うか!」
製造責任者
「いや、まことに申し訳ありません。しかし、あと3カ月だけ待って下さい。3カ月のうちに必ず営業や社長の期待に添うような洗濯機をつくってみせます」

 製造の責任者がその意気込みのほどを見せたので、これで会議が終わるとその場にいた全員が思った。しかし、幸之助は、厳しい調子でさらに続けた。

幸之助「
わかった。3カ月待とう。3カ月待つけど、3カ月たって優れた製品ができなかった場合は、きみ、どうするか。そのときはきみの首をもらうがいいか。その血の出る首だよ! きみ! 首をくれるな!」。そう言って、手をぬっと差し出したのである。

 この話は、物つくりは命をかけるほどの思いで取り組まなければならない厳しいものだという幸之助さんの考えを伝えています。松下幸之助さんは著書「指導者の条件」の中でも閔妃事件の後始末を行うとき、小村寿太郎が勝海舟に教えを請いに行った時のことを取り上げています。

勝海舟
「自分も江戸開城などの大きな交渉で苦労してきたが、結局いえるのは、死生を意にとめたら仕事はできないということだ。身命なげうち、真心を込めてやるという腹さえ決まっていれば、あとはその場合その場合で考えたらいい」

幸之助さんは「命をかけるほどの思いがあって、はじめていかなる困難にも対処していく力が湧いてくるのだと思う。」と述べています。

 この幸之助さんのエピソードは「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」に通じるものがあります。「葉隠」というのは江戸時代中期に肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の武士としての心得を記録したものです。「死」を常に意識し、生か死かの選択のときには「死」を選べば「恥」にはならない。これが武士道の本質であり、この武士道の本質を得たなら生涯誤りなく奉公ができる、というもので、「生」を輝かせるためのものです。また、「葉隠」では「武士道は死に狂ひなり」とも言っており、これは正気でいては、大仕事も達成することができない、ということを言っています。松下幸之助さんは、武家の末裔ではありませんが、日本人として「武士道」をなんらか感じ取っていたのでしょう。

 こうしてみると現代でも「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」は通用するし、実は日本人の中に生きている、あるいは日本人が必要としているもののように思います。



参考文献
 PHP文庫「指導者の条件」松下幸之助(著)
 「商人道」佐藤悌次郎
 新潮文庫「葉隠入門」三島由紀夫(著)

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 松下電器歴史館の松下幸之助像 Auther:Rsa氏


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