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沖縄県民斯ク戦ヘリ

沖縄県民は勇敢に戦った。


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 昭和20年6月23日、大東亜戦争沖縄戦が終結しました。沖縄戦でなくなられた方々のご冥福をお祈りいたします。今ある平和は英霊の方々の犠牲の上に成り立っており、私たちはこの平和を守っていかなければならないと感じます。

 沖縄学の父と言われる伊波普猷(いは ふゆう)氏は沖縄戦時に次のような寄稿をしています。

「勇猛の気性を持った琉球人が今こそ、その愛する郷土を戦場として奮戦していることを想うと私も感慨切なるものがある」
「今や皇国民としての自覚に立ち、全琉球を挙げて結束、敵を迎撃しているであろう。勇戦する琉球人に対し、私は大きな期待を抱く」


 伊波氏が言っているのは死にいくことをを助長するとか、命を落とすことに何も感じないとか、そういうことではありません。郷土愛です。郷土がアメリカに蹂躙されようとしているとき沖縄県民が立ち上がり、戦う沖縄県民を誇りに思っているのです。戦った歴史には意義があります。

 大田実中将は「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と言いました。戦った歴史には誇りがあります。誇りある沖縄の歴史なのです。

 現代では沖縄戦については悲惨さばかり語られ被害者意識ばかりが誇張され、戦った人を犬死のように言うでしょう。現代の戦後平和価値観によって当時のことが語られています。時代によって価値観は変わりますが、今の価値観がすべて優れているとは限りません。戦後価値観に染まっていない当時の人々の声にも耳を傾けるべきでしょう。

 沖縄一中・鉄血勤皇隊、武富良浩さん

「篠原先生※1をはじめ、宮城辰夫君らの多くの戦没学友は皆、自分の使命に精一杯取り組み、国に殉じた、純粋で、心の綺麗な人ばかりでした。置かれた状況の中で人間の誠意、倫理を身に賭して貫くことは容易にできることではありません。特に近年、政界、官界、財界、民間ともに信義に悖る(もとる)行為や、我利我利亡者が平気でまかり通る世の中だけに、その感をいっそう深くします。しかし、そんな綺麗な生きざまがイデオロギーによって犬死のように言われ、弄ばれるのは、人間の世の中が薄汚くなった裏返しでしょう。篠原教官のような立派な人格が、軍人だった、配属将校だった、ヤマトンチュウ(本土人)だったという理由で、これまで顕彰されなかったのは人間としてはずかしいことです」

 海軍航空少年兵合格 座間味島・郷土防衛隊 宮平秀幸さん

「沖縄県民斯く戦へり。あのお言葉どおり、座間味もそうです。沖縄本島も軍民協力して一体になって、向かってくる米軍に対して戦いをやってきたのです。民間人は命も惜しまない、食糧も惜しまない、軍のために、国のために一生懸命真心尽くして戦ってきた」

「だけど戦争が負けてしまってあとはどうなってきたかというと掌を裏返したようになって、沖縄県民、どこと戦争していたのかわからないようになった。日本軍との戦争だったのか、アメリカ軍との戦争だったのか。もっぱら日本軍を悪く言っていますけど、そうじゃない。アメリカ軍と戦うために日本軍もいたし、日本軍は沖縄県民を守るためにここまで来ているんですよ。それを沖縄県民みな全員総動員で戦っているのに、戦争に負けてから全部日本軍が悪かったと言ってます。これは私、常識不足だと思います」

「批判するのはいいですよ。物書きの方々は人が傷つかないように書くのが常識です。真実とかけ離れて、ウソを書き上げていく、面白半分に書き上げていく。これは絶対許しがたい問題です。これは日本人ではありません



※1 勤皇隊隊長・篠原保司中尉。人格者として生徒に人気があった。


参考文献
 オークラ出版「沖縄とアイヌの真実」
  『激論版 ゴーマニズム宣言 沖縄とアイヌ、同化をどう考えるか?』小林よしのり
 光人社「沖縄一中 鉄血勤皇隊」田村洋三(著)
参考サイト
 3/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15] http://www.youtube.com/watch?v=HgZmKMHMMBE
添付画像
 首里城(PD)


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発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

左ノ電xx次官に御通報方取計を得度

沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも県には既に通信が無く三二軍司令部又通信の余力無しと認めらるるに付、本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども現状を看過するに忍びず之に代して緊急御通知申上ぐ

沖縄島に敵攻略を開始以来陸海軍方面防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど(ほとんど)顧みるに暇なかりき

然れ(され)ども本職の知れる範囲に於ては県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と家財の全部を焼却せられ僅に(わずかに)身を以て軍の作戦に差支なき場所の小防空壕に避難、尚砲爆撃のがれx中風雨に曝されつつ乏しき生活に甘んじありたり

而も(しかも)若き婦人は卒先軍に身を捧げ看護婦烹炊婦(ほうすいふ)は元より砲弾運び挺身切込隊すら申出るものあり

所詮敵来りなば老人子供は殺さるべく婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて親子生別れ娘を軍衛門に捨つる親あり

看護婦に至りては軍移動に際し衛生兵既に出発し身寄無き重傷者を助けて敢て真面目にして一時の感情に馳せられたるものとは思はれず

更に軍に於て作戦の大転換あるや夜の中に遥に遠隔地方の住居地区を指定せられ輸送力皆無の者黙々として雨中を移動するあり

是を要するに陸海軍部隊沖縄に進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約を強要せられつつ(一部は兎角の悪評なきにしもあらざるも)只々日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ遂にxxxx与へ、xことなくして本戦闘の末期と沖縄島は実情形x一木一草焦土と化せん

糧食六月一杯を支ふるのみなりと謂ふ

沖縄県民斯く戦へり(おきなわけんみんかくたたかえり)

県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを


※文中のx部分は不明

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