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沖縄戦は持久戦を予定してなかった

沖縄は本土決戦のための時間稼ぎ「捨石」にされたというプロパガンダ。


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 昭和20年の大東亜戦争沖縄戦は本土決戦の準備のため時間稼ぎで持久戦をとったという話を聞きます。実際は最初から持久戦を考えていたわけではなく、当初は沿岸決戦を計画していました。

 沖縄の戦力は当初歩兵三個師団と一個旅団、一砲兵団でした。昭和19年(1944年)10月に米軍がレイテに現われたため、台湾に展開していた一個師団と一個旅団をフィリピン戦線へ投入。そのため手薄に成った台湾防備の補充として、第三十二軍(沖縄防衛軍)の猛反対を押し切って第9師団を沖縄から抜いて台湾へ異動してしまったのです。この異動命令が出たとき、軍司令官、参謀らは夕食の最中でしたが、みな呆然自失になったといいます。
 沖縄防衛軍は米軍の上陸は島の中部・中頭郡の西海岸か、南部島尻郡の具志頭村の港川海岸付近と予想していました。そこで嘉手納地区に第24師団。普天間に第62師団。島尻に第9師団を配置し、いずれの地点から米軍が上陸しても水際で食い止め、南西諸島各地に造った15の飛行場や、九州台湾から出撃する航空機で撃滅する決戦態勢をとっていました。第9師団を抜かれたのでは島尻が無防備になります。結局、水際撃退作戦は中止となり、敵を誘い込む持久戦を取らざるを得なくなりました。

 こうした経緯や神風特攻隊、大和特攻などの事実があるにも関わらず
、「沖縄は捨石にした」と思いたくてしかたがない人もいるようです。こういうのは戦後、GHQによって軍と国民が対立するように洗脳工作をしたところに端を発しています。

戦後のGHQプロパガンダラジオ番組「真相箱」より
「沖縄戦では、日本は非常に変な作戦を行いました。米軍は上陸第一歩から、非常な激戦を予想して上陸したのです。ところが驚いたことには、四月一日にアメリカ第十軍団が侵攻を開始したときに、日本は殆ど何らの抵抗をも示さず容易に米軍の上陸を許したのであります。これは元来敵を撃退するには上陸地点において敵が橋頭堡(きょうとうほ)に集結しているときにこれを撃つのがよい方法で、敵が突入し始める機会を得てしまってからは、容易なことではない、という戦争の根本的な法則を無視した実に乱暴な戦法でした」

 沖縄戦では戦闘員、軍属以外のものたちは、北部の国頭に避難することになっていました。しかし、避難民が殺到して統制がとれず、一時中止したのと、米軍の進撃が予想以上であったため避難が間に合わず、首里城あたりの住民を南部へ避難させてしまいました。このため南部の喜屋武半島の狭い地区に多数の住民が避難したため軍人と住民が混在することになり住民は直接砲火を浴び、多大な犠牲になってしまったのです。この大きな痛みからGHQの洗脳が浸透し、ある種のイデオロギーが加わり、「捨石にされた」「軍がいたから集団自決がおこった」というようなプロパガンダが作られたものと思われます。




参考文献
 PHP「沖縄戦集団自決の謎と真実」秦郁彦(編)
 光人社「沖縄一中 鉄血勤皇隊」田村洋三(著)
 小学館「真相箱の呪縛を解く」櫻井よしこ(著)
参考サイト
 WikiPedia「レイテ島の戦い」
添付画像
 昭和20年4月米軍沖縄本島上陸(PD)


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