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日琉同祖論を唱えた伊波普猷

日琉は同祖だった。

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 17世紀の半ば、琉球王国の摂政だった羽地朝秀が、王命により書いた琉球王国最初の歴史書『中山世鑑』では日本と琉球は同じ祖先から生まれてきているといいます。「日琉同祖論」です。1650年成立と記されています。
 沖縄の人々は九州から移住してきたのち、三山の内乱が有り、日本では吉野時代の戦乱に突入したことなどの事情で、交流が途絶えてしまったというものです。そうした論拠から、羽地は1609年に琉球が薩摩の侵略を受けたことについても、琉球王が薩摩に無礼をはたらいたから攻略されたとして、むしろ薩摩に正義があったという視点で論文を書いています。

 もちろんこうした論点は既に沖縄が薩摩の支配下にあったので、薩摩に遠慮したものと考えることができますが、沖縄出身の「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷(いは ふゆう)氏は「日琉同祖論」を学問的に説明し、維新の廃藩置県以前の沖縄がいかなる状況にあったか、沖縄人は本当に事実を知っているのかを説いています。

「とにかく、今日の沖縄人は紀元前沖縄人は紀元前に九州の一部から南東に植民した者の子孫であるということだけを、沖縄の人たちには承知してもらいたい。さてこの上古の植民地人は、久しく本国との連絡を保っていたが、14世紀に至って、本国のほうでは吉野時代の戦乱があり、自分のほうでは三山の紛争があったので、本国との連絡はまったく途絶してしまったのです」

 伊波氏によると紀元前に北九州の筑紫に海部(あまべ)とう氏族がおり、この海部が南下して沖縄諸島に住み着いたというもので、沖縄の最高神「アマミキヨ」はこの海部だといいます。沖縄の七大方言、沖縄、宮古、沖水良部、徳之島、大島、鬼界の単語、音韻、語法など比較研究すると、それらは別々に原始日本語から分岐したのではなく、古代日本語から分岐したものであると主張しています。現在では遺伝子の研究でも大和民族と同祖であることがわかっています。

 伊波氏は沖縄の万葉集と呼ばれる「おもろさうし」にも古事記と類似点があり、アマミキヨは奄美大島を経て琉球に来たことを証明する手がかりになると述べています。また、沖縄の信仰が神道と非常に似ており、神はキリスト教のようなGODではなく、自分等の上にいて、自分等を支配する民族的な神であり、山の神、海の神、火の神、水の神、風の神というように多くの神を信じている点も指摘しています。

 伊波氏は日琉同祖を証明しようとして沖縄を研究したわけではなく、沖縄を識るために「おもろさうし」に学び、歴史を探っていった結果、日琉同祖に行き着いたようです。そして、同じ日本人でありながら内地人と言葉が不通になりがちで、歴史的に被支配者という沖縄人のコンプレックスを除くため、講演などを行い、沖縄人と内地人の源は同じであるとわかりやすく説明し、沖縄人自らのアイデンティティーを確かめることにつとめました。



参考文献
 海竜社「国家への目覚め」櫻井よし子 田久保忠衛(共著)
 平凡社「沖縄歴史物語」伊波普猷(著)
参考サイト
 WikiPedia「沖縄県の歴史」「琉球民族」

添付画像
 勝連城(グスク PD)


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