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1919年人種平等に猛反発したオーストラリア

オーストラリアは元気のない国。

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 オーストラリア(豪)というと治安が良く、豊かでフレンドリーな国という印象を持ちます。もう随分昔になりますが、観光で2回ほどいきました。いずれも東海岸のほうです。
 しかし、歴史を見てみるとイギリスの植民地であった時代があり、犯罪者の流刑の地であり、現地住民を虐殺した歴史があります。また、戦って独立したような歴史はありません。そのため「元気がない国」とも言われています。同じような国にカナダがあります。アメリカもそもそも流刑の地でしたが独立戦争で独立を勝ち取った歴史があります。戦った歴史は国家の誇りになっているのです。オーストラリアでは政治家とか著名人のスピーチのときに
「自分は19世紀になってやってきた移民の子孫である」と前置きをするのだそうです。19世紀以前は囚人と思われるので、19世紀以後の移民という尊厳を前置きするのです。こう考えると日本の国家の起源と戦った歴史はありがたいものです。

 日本とオーストラリアの関係に関する歴史は実はあまり友好的なものではありません。オーストラリアはイギリスの連邦(植民地)だったので、日英同盟の頃は友好だったのではないかと思い勝ちですが、そうではなかったようです。その理由の一つにオーストラリアの「白豪主義」があります。

 1901年には既に3,000人の日本人がさとうきび畑で働いていましたが、入国を禁止されます。1904年に日英同盟が結ばれたので、特定労働者、たとえば真珠貝の栽培などだけにビザが下りるようになります。 1914年に第一次世界大戦が勃発し、日本は日英同盟に準じて連合国側について参戦します。オーストラリアとは仲間のはずですが、オーストラリアは日本とドイツが組んでビスマルク諸島あたりから攻めてくるというような妄想を持っており、イギリスの植民大臣が
「日本はシナ海から出ませんよ」と安心させています。日本はオーストラリアの商船をインド洋でドイツの潜水艦から護衛していたにもかかわらずです。そして、北太平洋のドイツ領である島を占領しようと計画し、英国本国から「そこは日本に任せているから赤道より北へ言ってはいかん」と通告されています。

 1919年のベルサイユ会議で日本は人種平等案を提示します。アメリカの黒人の熱狂的な支持がありました。しかし、これに強行に反発したのがオーストラリアです。さらに旧ドイツ領の領有にいちゃもんつけています。日本は連盟規約の前文に「各国平等の主義」の一文を入れるという譲歩をし、17票中11票を獲得しましたが、委員長ウィルソン(米)が全会一致を主張し、潰されてしまいました。賛成多数なのに無理やりつぶしたのです。なんということでしょう。ただし、オーストラリアは日英同盟継続には賛成しています。
 
 ここから日豪関係は明確に悪化しますが、これらがその後の大東亜戦争にも影響します。前々から日本を警戒し、憎んでいたオーストラリアから東京裁判の裁判長を選んだ理由もわかるでしょう。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 展転社「大東亜戦争への道」中村粲(著)
参考サイト
 Wikipedia「第一次世界大戦」
添付画像
 第一次世界大戦時のオーストラリア軍(1914年) エジプトにカンガルーを連れてきている。(PD)


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