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新選組に見る武士道

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり


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「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」

 昔よく新選組の本を読んだもので、「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのが出てきます。「葉隠」という江戸時代中期に記録されたものからきていますが、私が子供の頃はこういうのは命を粗末にする考えであって、戦前の悪い考え方だと教わったような記憶があります。
 この「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのは「死ぬ」のが目的ではなく、いつも「死」を意識することにより「生」が燦然と輝くということを言っています。今日か明日死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとして光を放つでしょう、ということです。また、生か死かの選択のとき、「死」を選べば「恥」にならない、これが武士道の本質と言っています。

 新選組の話には西洋医学者の松本良順が登場します。良順は攘夷派に命を狙われているとき、新選組局長近藤勇のところへ訪ねていきました。
 
良順
「近藤君、見苦しくねえように斬られてやるには、どうしたらいいのだえ」

 「死」の覚悟、そして「恥」にならないようにするにはどうしたらいいか、相談にきたのですね。「葉隠」からするとこれは「生」を輝かせることにつながります。

近藤
「こちらが大剣をふりかざしたまま、両眼を閉じます」
良順
「なに目を閉じる。それでは相手が見えなくなっちまうではねえかよ」
近藤
「一向にお気になさることはありません。やがてからだの何処かが冷やりといたしましょう。その瞬間に大剣を真っ向に振り落とします。自分も斬られましょうが相手も斬ることができます。」

 新選組の剣法は天然理心流と言い、相打ちを極意とする剣法であり、これは死を覚悟する、死を選択する武士道の本質を持っています。

良順
「確かに侍がやりあう斬りあいでの心得はわかったが、近藤君、俺等は無腰だよ。それで狙われた時は、いったいどうするね。」
近藤
「相手の目から、自分の目をそらさずにすたすたと前に進まれたがよろしい。具合よく斬られること間違いございません」
良順
「やれやれ」

 この話はある程度創作が入っていると思われますが、松本良順の息子が語ったところから作られています。以下のほうが実話に近いと思われます。

良順
「近藤君、敵に囲まれたときはどうすれば活路を開くことができるか」
近藤
「まあ死ぬのですな。生きることが念頭にあってはだめです。一方をうかがって、猛然と捨て身に斬り込むのです。そこにだけ命を救うところがあります」。

 とにかく死ぬこと、そこに「生」があるということですね。

 現代は戦争もないし、長寿になったので「死」というものを意識して生きることは稀ですし、「死」のイメージとして西洋の「死神」という恐ろしいイメージを持つ人が多く、「考えたくない」というところではないでしょうか。また、学校では「命を大切に」としか教わらないので、「死」というものを忌み嫌う傾向にあるでしょう。しかし、「死」というのは誰にでもやってきます。ならば、日本の伝統である「武士道」を見直して、「死」を有効に使い「生」を輝かせる努力をしたほうが大変意義のあることのように思います。



参考文献
 実業之日本社「新撰組」松浦玲(監修)
 文春文庫「新撰組風雲録」広瀬仁紀(著)
 新潮文庫「葉隠入門」三島由紀夫(著)
参考サイト
 WikiPedia「武士道」「葉隠」

添付画像
 近藤勇(PD)



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新選組始末記 池田屋事変
http://www.youtube.com/watch?v=R2CtjndCOcE

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