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陸軍報道部隊

報道部隊というのがありました。


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 日本陸軍には報道部隊というのがあり、記者やカメラマン、作家はすぐ浮かんできますが、画家や映画関係者、電気工となると、へえーとなります。部隊の中には通訳や衛生兵、運転手がいます。そういえば日本側も戦闘を撮影しておりたくさんDVDになっていますね。この報道部隊は敵に対して投降を呼びかけたりもします。フィリピン戦では敵の投降をよびかける際にアメリカのレコードをかけて流したりしています。

 バターン攻略戦の報道部隊に芥川賞作家の火野葦平さんが従軍しています。この部隊にはフィリピン兵捕虜、アメリカ兵捕虜も一緒にいて一緒に行動しているのです。フィリピン兵捕虜は同じフィリピン兵の投降を呼びかけたりして日本軍に協力しています。他、フィリピン逃亡兵も混じっています。アメリカ兵捕虜もおり、車の運転手をしています。


 コレヒドール攻略前の一風景です。
陸軍報道班員手記 昭和17年7月(GHQ焚書図書開封より)

「コレヒドル攻撃の準備が進められ、私たちも、リイル河畔の司令部の位置へ引き揚げることになった。夕方は壱岐軍曹が南国料理をこしらへた。檳榔(ヤシ科の木)の幹から葉の出る中間のところに柔らかいところがある。その皮をはいで小さくきざむと竹の子のようになる。味噌でたくと、筍よりも柔らかく、美味しかった。気の置けない私たちの仲間に入って、サドラー(アメリカ兵捕虜)は安心したように、よく働いた。彼は私たちに交じって、冗談口をたたくようになった。


(中略)

 しかし、いづれは自分も捕虜収容所に入らなければならぬ身である。収容所に入ればがらりと生活が変わってしまうだろう。名残にウイスキーが飲みたいから、マニラでウイスキーを一本買ってきてもらいたい。そういって、サドラーは懐中から50ペソを取り出した。自分は収容所に入ればもう金はいらない。ウイスキーを買ったあまりは、小隊の方々に寄付するから、なんなりと買って食べてもらいたい、と付け加えた。自動車が出発するとサドラーは独り言のように、私にとって、戦争以来、昨夜が一番安らかな夜であった、とつぶやいた」


 戦場の中でもこんな風景があったのか、と思うと同時にアメリカ兵捕虜とも隔てない人間関係が伺えます。このほかフィリピン兵捕虜の話も本には載っています。軽い驚きを覚えますが、戦後は「日本軍は非情で残虐だった」というプロパガンダが撒き散らされたのと、こういう本をGHQが焚書したからわからなくなったのでしょう。




参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)

添付画像
 自転車に乗り移動する日本軍(PD)


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