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軍艦マーチ(ミャンマー・ドゥーイェ・タッマドゥ)

ミャンマーは親日国。


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 ミャンマー(旧ビルマ)では1942年(昭和17年)のビルマ独立義勇軍の創設を建軍としています。国軍記念日の軍事パレードでは軍艦マーチ、歩兵の本領、愛馬進軍曲が流れるといいます。国軍記念日は対日蜂起の日でもあるのですが、なぜ日本の軍歌が流れるのでしょうか。

 昭和17年(1942年)タイのバンコクで「ビルマ独立義勇軍」が結成されます。これは日本の南機関という特務機関が日米開戦前からビルマ国内工作としてビルマ独立党を支援しており、日米開戦にともない敵となったイギリスを打倒するために結成したものです。司令官は鈴木大佐。ロンジー(ビルマ民族衣装)で白馬にまたがりビルマ人の前に登場したと言います。この演出の提案をしたのがアウンサンで、アウンサンスーチー女史の父です。ビルマでは
「王朝最後の王子よみがえって東方から白馬に乗ってやってきて白人支配から開放する」という伝説があったのです。

 イギリスとの戦いの前、アウンサンは日本に亡命し、独立運動指導者らをビルマから呼び寄せ、海南島で南機関によって厳しい軍事訓練が行われました。訓練の厳しさに脱落しそうな者が現れると
「こんなことでイギリス軍をビルマから追い出せるか!」「そんな意志薄弱で独立が獲得できるか!」と怒声が飛び交ったといいます。

 昭和17年(1942年)日本軍とビルマ独立義勇軍(B・I・A)がタイからビルマとの国境に近づくと、ビルマの青年たちが国境を越えてやってきて、
「ドウバマー」(万歳)と叫び、日本軍の物資輸送を手伝いました。日本軍が国境を越えてビルマの村に入ると村の人たちが「ドウバマー」「ドウバマー」大歓声が沸きあがり、日本兵はあまりの感動に涙を流したといいます。

 ビルマに入った日本軍は進撃を続け3月には首都ラングーンを占拠。イギリス軍に逮捕されていた独立指導者らを解放しました。その後、ビルマ北方方面を制圧し、ビルマをイギリスから解放しました。

 昭和18年(1943年)バー・モウを元首とするビルマ国が建国しました。その後、大東亜戦争は日本の旗色が悪くなり、アウンサンは日本を裏切りましたが、それは独立を維持するため仕方がない行為で、日本を恨んでいたわけではありません。戦後、ビルマ独立に尽力した7人の日本人がアウンサン勲章が授与しています。南機関の鈴木大佐のことはミャンマーの学校教科書でも大きく取り上げられているそうです。こうした親日的なところが、日本の軍歌をずっと残していることにつながっているのでしょう。



参考文献
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
 徳間文庫「ビルマ独立秘史」泉谷達郎(著)

添付画像
 ビルマの日本軍(PD)

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軍艦行進曲の系譜 ミャンマー・ドゥーイェ・タッマドゥ/Myanmar Tot Ya Tatmadaw
http://www.youtube.com/watch?v=ZSmqdf6N4n8






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