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東京裁判で原爆投下を追及したブレークニー弁護人

意外にもアメリカ人弁護人は大活躍した。


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 東京裁判は「極東国際軍事裁判」と言い、第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)年5月3日~昭和23年(1948年)11月12日にかけて行われたもので、戦争犯罪があったとして連合国側が一方的に日本の指導者を裁いたものです。この東京裁判で原爆投下を追及したのは梅津美治郎被告、東郷茂徳被告の弁護をしたベン・ブルース・ブレイクニーで、アメリカ陸軍軍人・弁護士です。彼が原爆投下について言及すると同時通訳が停止したというのは有名な話です。


「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している・・・」


 ブレークにーはスチムソン陸軍長官が原子爆弾使用の決定をしたことを証明する証拠を提出しようとしました。これにはイギリスの検事コミンズカーが驚き、異議を申し立てます。


コミンズカー「連合国において、どんな武器が使用されたかということは本審理に何の関係もない」
ブレークニー「もし検事がハーグ条約第四をご存知なら、そのうちの陸戦法規にある、一定の種類の型の武器(注=毒ガス、細菌など非戦闘員にも損害を及ぼす武器)の使用を禁ずる、という条項をご存知のはずである」


ウエップ裁判長「かりに原子爆弾の投下が戦争犯罪であると仮定して、それが本件の何の関係があるか」
ブレークニー「それに対していはいくつかの返答ができると思う。その一は報復の権利である」(国際法では敵が違法行為をすれば、これに対して報復の権利が生ずる)


ウエップ裁判長「しなしながら、報復はこの行動が行われた後に起こるものだ」
ブレークニー「この被告たちは、原子爆弾の使用前とその以後に関することについて訴追されている」


ウエップ裁判長「あなたのいっていることは、議論の余地がある。私はそうは思わないが、原子爆弾が二個投下されたことにより、その後の日本のやった行為のあるものが、正当化されるかもしれない。あなたはハーグ条約第四条が死文化されたということに基礎を置いているようだが、その他の点はどうなるか」
ブレークニー「原子爆弾使用以前のことは、ほかの証拠で立証する。それ以降のことは報復的手段として正当化できると私は主張する」


ウエップ裁判長「それはわずか三週間(8/6から9/2)でも被告のだれかを無罪にすることができるかもしれない」
ブレークニー「三週間の期間にかかるところの検事側の証拠書類は、たくさんあった。たとえばマニラ事件・・・」


 東京裁判ではブレークニーのほか、ローガン弁護人は「日本からまず手を出すように彼ら(連合国)が予期し、希望したとおり、(日本が)自己の生存そのもののために戦争の決意をせざるを得なくなった」と述べたり、デービット・スミスという広田弘毅の弁護人が裁判長より尋問の範囲を干渉されたことを不当だと抗議し、法廷を立ち去りました。スミスは以降も「不当な干渉」だとガンとして譲らず法廷には戻ってこなかったものの、法廷の外で広田被告の弁護活動を行い、弁護が終わったとき帰国しています。東條英機の日本人弁護人である清瀬博士はこれらの米国人弁護人は「なかなか気骨があり、場合によればアメリカ自身の過ちでもこれをあぐるに躊躇しなかった」と述べています。


 オランダの判事だったレーリンク卿の回想によると、日本人弁護人は国家の名誉、天皇と日本の名誉を守るために裁判に臨んでおり、米の弁護人は依頼人の個人のためならその他の犠牲やむなしというスタンスだったと述べています。おそらくこうしたスタンスの違いが米国人弁護人の「ズバッ」とした弁護として際立たせたのではないかと思います。



参考文献
 中公文庫「秘録 東京裁判」清瀬一郎(著)
 中公文庫「東京裁判とその後」B・V・A・レーリンク/A・カッセーゼ(編/序) 小菅信子(訳)


参考サイト
  WikiPedia「ベン・ブルース・ブレイクニー」


添付画像
 法廷でのブレークニー弁護人(動画より)


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大東亜戦争は戦争犯罪ではありません
http://www.youtube.com/watch?v=kd96pZzEKEM


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