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南京の便衣兵

便衣兵は民間人と区別がつきにくかった。


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 昭和12年(1937年)8月に支那軍が日本海軍陸戦隊を攻撃して始まった第二次上海事変で、日本軍第三師団が上海に上陸しようとしたとき、桟橋の上に、日本の愛国婦人会のような多数の女性が、手に手に日の丸の小旗を持って迎えました。兵士は安心して次々に桟橋に降り立ちましたが、それまで並んでいた女性たちの姿はたちまちに消え、支那軍による凄まじい一斉射撃を受けたといいます。


 支那軍というのはこういう軍隊なのです。


 福島民法 箭内正五郎記者(上海戦)
「上海で昼にお金を使って働かせていた捕虜が夜になると謀反を起し、営舎に手榴弾を投げたり火をつけたりしたことがありました。その時、火事になり私もマントが燃えたことがありました。また、便衣兵が手榴弾を投げたのを見つけて殺しています。ですから市民の服を着て死んでいる者もいました」


 同盟通信 細波孝無電技師(南京戦)
「私は国際法で捕虜をやってはいかんというのが念頭にありました。それを見て(下関の死体を捕虜の処断だと推測していた)国際法を考えましたが、戦闘の犠牲者だと思いました。入城式までに城内の大掃除をやりましたからね。中国兵というのは捕虜というのか敗残兵というのか、そういうのがいて、いつ攻撃してくるかわかりませんからね」


 支那兵は捕虜になっても隙をみせたら襲ってくるのです。これはこのときの上海戦だけの話ではなく、昔から支那兵というのは卑怯者だったということです。第一次上海事変のときも捕虜を検査したらピストルを隠しもっており、第二次上海事変でも同様に苦労したのです。南京事件を考察するときはこういう支那軍の特性を頭に入れておく必要があります。


 新愛知新聞 南正義記者(南京戦)
「12月13日ですか、先頭の部隊とともに中山門(南京の城門のひとつ)から城内に入り、中山東路を進むと、街路樹のプラタナスに日本兵が吊るされていて大騒ぎになりました。
 あとでわかったのですが、通済門か光華門で戦いがあり、そこで捕まった日本兵らしいのです。それを中山東路につれてきて、殺して、プラタナスの木に吊るしたものです。下から火であぶっていました」


 南方の門付近でも木に縛られて銃殺された日本兵が目撃されています。南京戦で日本軍が支那の敗残兵を処刑したことに対して国際法違反だという人がいますが、もしそうだとして、支那軍に捕らえられた日本兵が処刑されたことも批難しているでしょうか。支那軍は国際法など一切守りません。


 12月13日、南京が陥落後、支那兵は平服に着替え便衣兵となり、一般市民が避難している安全区に逃げ込みました。安全区はドイツ人ジョン・ラーベを長とする国際委員会が管理し、中立非武装の地帯です。ところがこともあろうにジョン・ラーベ自身が支那の高級将校を匿ったのです。


 ラーベ日記12月12日
「夜の八時少し前、龍と周がやってきた(林はすでに逃げてしまった)。ここに避難させてもらえないかといってきたので、私は承知した」


 便衣兵は日本兵の仕業に見せかけ、殺人、略奪、強姦、放火などの悪事を繰り広げ、攪乱工作を行いました。


 飯沼守少将 1月4日陣中日記
「憲兵は南京難民区域或は外国大使館等に潜伏しある不逞徒を捕えつつあり、保安隊長、八十八師副長等、主なる者なり」


 チャイナ・プレス 1938年1月24日 日本憲兵隊の報告書より引用
「彼らの中には南京保安隊隊長王信労がいた。彼は陳弥と名乗って、国際避難民地帯の第四部門のグループを指揮していた。また第八十八師の前副師長馬包(あしへん)中将や南京警察の高官密信喜もいるといわれている。
 馬中将は安全地帯内で攪乱行為の扇動を続けていたと言われる。また安全地帯には黄安大尉ほか十七人が、機関銃一丁、ライフル十七丁を持ったまま匿われ、王信労と三人の元部下は略奪、扇動、強姦に携わったという」


南京で報告されてた日本兵の非行というのはほとんど便衣兵か民間の不逞支那人らの仕業でしょう。そして12月25日に日本軍将校宿舎が便衣兵の集団に襲われるということがおきています。とにかく日本軍は便衣兵には手を焼きました。便衣兵は国際法違反です。



参考文献
 WAC「南京大虐殺のまぼろし」鈴木明(著)
 小学館文庫「『南京事件』日本人48人の証言」阿羅健一(著)
 展転社「『南京虐殺』の徹底検証」東中野修道(著)
 講談社文庫「南京の真実」ジョン・ラーベ(著) / エルヴィン・ヴイッケルト(編)/ 平野 卿子(訳)
 草思社「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」東中野修道(著)
 PHP「ひと目でわかる 日韓・日中歴史の真実」水間政憲(著)
添付画像
 日本の部隊に収容された中国人捕虜の一部 (昭和12年12月16日)(PD)


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南京虐殺ニセ写真
「杭に縛り付けた支那人めがけて銃剣術練習の日本兵」としてアメリカに出回ったもので、当時でも虚偽写真であることが明らかになったが、「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」などに使われだした。
当時の日本の軍服は詰め襟。折り襟ではない。また階級を表す肩章がついていない。


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