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高砂義勇隊のその後

勇敢に戦った先人に誇りを持つ。


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 高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)というのはは大東亜戦争時に、台湾原住民により編成された日本軍の部隊のことです。フィリピン、ニューギニアなど密林地帯の戦場に投入するために創設されました。


 高砂義勇兵だった石井富士夫さんと上村宗一さんは昭和17年、南方派遣軍のボルネオ島俘虜収容所に勤務しました。このとき、オーストラリア、イギリス捕虜をラナウに移動したとき隊伍に入り、命令を遂行したため、日本敗戦後に戦争犯罪者とされました。一般にサンダカン死の行進と呼ばれるものです。


 二人はBC級裁判で有罪となりモロタイ島へいき、次にラバウルへいき、更にソロモン諸島のトドキナへいき、マヌスへ移動し、昭和28年(1953年)7月まで服役し、日本へ引き揚げとなりました。日本に引き揚げたものの台湾人なので、家族の迎えは居らず、市川の中山競馬場主中村勝五郎さんのところにお世話になります。


 戦後、戦犯生活をした石井さん、上村さんは帰国した時、引揚援護庁より帰還手当て1000円、帰還後雑費3000円を受け取ります。ところが、日本人には外地引揚者に対して過去幾年分の棒給と家族数による家族扶養手当が支給されたのに対し、石井さんと上村さんは台湾人であったため、「台湾、朝鮮人は、第三国人にしてこの項を適用せず」との規定により、支払われませんでした。「一視同仁」、日本人、台湾人、といった差別をせず、平等に見て同じように思いやりをもって待遇するのはずの日本の精神でしたから、石井さん、上村さんはショックを受けました。これは前の年の日華平和条約で台湾人は日本国籍を失っていたからであり、石井さんの記録では役所の文任官の人が「顔面真っ青」になっていたと書いていますから、請求者が来るとは予想していなかったのかもしれません。(講和条約後は個人が相手国に請求できなくなる)


 こうした問題に加え、賃金未払いと郵便貯金も個人で引き出すことができない、という問題が発生したのです。ずっと後、1990年代になり、戦病死者及び重傷者を対象に一人200万円の弔慰金が支払われたが、給与は現在でも未払のままです。郵便貯金とされた給与も引き出せませんでしたが、120倍にして返却することが決まり1995年に支払いが開始され一部の元隊員は受け取れるようになりました。ただ、120倍でも1000円が12万円ですので、低すぎるという声もあります。(戦前はサラリーマンの給与がだいたい40円ぐらい)


 大東亜戦争で高砂族総人口15万人中約6,000名が義勇隊に志願し、その半数が戦死したと言われています。しかし、高砂族の人たちは日本の戦争責任を追及するようなことはありません。烏来というタイヤル族の村には「台湾高砂義勇隊英魂碑」があり、参道には「高砂挺身報国隊 台湾総督 海軍大将 長谷川清」と書かれた無数の日章旗が翻り、記念碑の下には、本間雅晴中将による高砂義勇隊への鎮魂の遺詠が刻まれています。


 かくありて許さるべきや 密林のかなたに消えし 戦友(とも)をおもえば


 この地を訪れた日本人は皆一様に感嘆し、あるものは言葉を失い、あるものは感動のあまり涙を流しながら合掌するといいます。
 勇敢に戦い南方の島々に果てた先人たちを、日章旗と本間中将の遺詠をもって称える・・・それが誇り高き高砂族なのです。




台湾軍の歌(本間雅晴中将 作詞)


 太平洋の空遠く


 輝く南十字星


 黒潮しぶく椰子の島


 荒波吼ゆる赤道を


 にらみて立てる南の


 護りはわれら 台湾軍


 ああ厳として 台湾軍




参考文献
 中公文庫「高砂族に捧げる」鈴木明(著)
 小学館文庫「台湾人と日本精神」蔡焜燦(著)


参考サイト
 WikiPedia「高砂義勇隊」

添付画像
 台湾の高雄駅 昭和16年(1941年)4月28日(PD)


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台湾軍の歌
http://www.youtube.com/watch?v=YUOCN7PTz-E



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