かつて日本は美しかった

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敗戦をバネに科学技術大国となった日本

日本人の記憶は作り替えられている。


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 大東亜戦争敗戦時、日本人はこう思っていました。


「日本は戦争に負けたのではない、科学の力に負けたのだ」


 科学の力・・・原子爆弾を指しています。そしてひそかに不服従の感情を持っていました。


 大東亜戦争で日本はよく科学技術を軽視していたと言われます。本質は重視軽視の二元論ではないと思いますが、敗戦を自省するにあたり科学技術力の不足を認めていました。昭和20年8月16日の朝日新聞には「科学や物量に敗れた・・・」という見出しが出ました。昭和天皇の終戦直後の回想でも「あまりに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと」を敗戦の一因として挙げています。私の祖父の記録にも「日本では“器用貧乏村宝”等と言って、技術者を馬鹿にする。精神一到何ごとか成らざんやとか神風とか言っていて最悪の無条件降伏をした。日本がこんなに良くなったのも技術の力である。指導者は反省すべきである」と書いています。戦争を知っている世代はこのような認識が強かったでしょう。


  よく敗戦時に庶民は「戦争がおわってホッとした」というのを聞きます。そういう人もいたでしょうが、おそらくこれは戦後日本が再び立ち上がらないようにするためのGHQ刷り込みで、「悔しい」が大方の気持ちだったでしょう。原子爆弾で街が壊滅した広島でも抗戦意識が強く、広島逓信病院の院長蜂屋道彦氏の日記にこう書かれています。


「日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていたものも、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的抗戦論者になっている。そこへ降伏ときたのだからおさまるはずがない。すべてを失い裸一貫。これ以上なくなることはない。破れかぶれだ。私も彼らのいうように徹底的に戦ってしかる後に、一死をもって君国に殉ずるのが私の本分であると思った・・・(中略)・・・降伏の一語は全市壊滅の大打撃より遥かに大きなショックであった。考えれば考えるほど情けない」


 戦後日本は「悔しさ」をバネに「科学技術」重視に向かい、技術立国日本を建設したといえます。


 1970年代オイルショックがあり、石油が高騰し、ソ連は巨額の資金を油田開発につぎ込みますが、原油価格は暴落し、投資は失敗となりました。それは日本の省エネ技術により日本の石油需要が増えなかったからです。日本は科学技術により省エネ大国に変貌し、ソ連は当てが外れてレーガン時代にはついに米国に屈服することになります。評論家の日下公人氏はかつてモスクワ大学経済学部を講義で訪れた際に多くの教授たちと懇談したとき、彼らが異口同音にこう言っていたと述べています。

「われわれが負けた相手はレーガンではない。日本の省エネ技術と省エネ生活に負けたのだ」


 敗戦の悔しさをバネに日本が科学技術に力を注いだ結果、今度は勝ったのです。


 しかし、歴史はGHQによって書き換えられており、大東亜戦争は「終わったとき、みんなホッとした」「最初から無謀な戦争だった」になってしまっています。戦争を知っている世代は実体験の悔しい思い、科学技術の重要性を実感した記憶がありましたが、知らない世代は記憶がありませんからGHQによって創られた歴史を信じています。現に3年前政権交代があり、国民はマスコミが面白おかしく報じる「仕分けショー」で「科学技術」の予算が削られていくのをヤンヤヤンヤと手を叩いて喜んでいる痴呆ぶりを見せています。日本が日本人自身により弱体化させる姿を世界が不思議がり、ほくそ笑んでいることに気づいていませんでした。その後ノーベル賞受賞などで幾分か目覚めた程度です。「歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」と誰かが言いましたが、まさにその通りになりつつあります。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 文春文庫「昭和天皇独白録」
 幻冬舎「昭和天皇論」小林よしのり(著)
 祥伝社「日本人の覚悟」日下公人(著)
 展転社「世界からみた大東亜戦争」名越二荒之助(編)


添付画像
 原子爆弾で廃墟となった広島(PD)


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