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東條英機自殺未遂の真実

東條英機、自殺未遂の真実。



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 東條英機と言えば強硬に日米開戦を主張し、戦争に導いていった首相・・・と思っている人が多いでしょう。私も自分で歴史を調べてみるまでそう思っていました。また、戦後、東京裁判のとき自殺を図ったものの失敗したのもみっともない、と考えている人もいるかもしれません。

 東條英機は昭和20年9月10日、逮捕前日に時の陸軍大臣下村定氏に次のように話をしています。

「自分は皇室および国民に対して最も重大な責任がある。このおわびは死をもってするしかない。国際裁判のためには詳細な供述書を作り、目下清書中であるから、自ら法廷に立つ必要はない」

 すでに東條英機は向かいに住んでい鈴木医学博士に相談して心臓のところに墨で印をつけてもらっていました。そして娘婿ですでに自決した古賀少佐のピストルを使って自決を敢行したのです。頭を撃たなかったのは連合軍がみにくい姿を世間に示すだろうと思ったからでした。
 9月11日、東條逮捕にGHQの憲兵が向かいました。戦犯容疑者は本来は日本政府を通じて書面で呼び出すことになっていました。その急なためか、東條は利き腕が左腕であり、左で心臓を撃ちにくかったのか、結果、心臓をかすって弾は貫通し、一命をとりとめました。

 このときの東條英機の評判は非常に悪いものでした。

 笹川良一という人をご存知の方は多いと思います。日本船舶振興協会の「世界は一家、人類は兄弟」というCMを覚えている方も多いでしょう。この人は国会議員でしたが、連合国非難をして戦犯指定になりました。東條英機とは犬猿の仲だったのですが、法廷闘争の経験があり、国難にあたって東條英機に法廷闘争の極意を伝授したといいます。

「東條さん、あなたには大変お気の毒なことだが、あなたはおそらく死刑を免れることはできないだろう。近衛公(近衛文麿元首相のこと)が自殺した今となっては、開戦時の最高責任者はあなたしかいないからだ。あなたが死刑になるということを前提にした上で、あなたにお願いがある。まず第一に、このたびの戦争は日本の侵略戦争ではなかったということ、自衛のためにやむを得ず立ち上がった戦争だということを、最後までとことん主張していただきたい。第二に開戦の決定はあなた自身の責任によって行ったのだということ、開戦の責任は天皇の責任ではなかったということを、表明していただきたい」

 この笹川良一の伝授を受け、東條英機は検察側の主席検事であるキーナン検事と法廷で対決し、見事な主張を展開しました。GHQによって言論統制された国民は溜飲を下げたことでしょう。オランダの判事レーリンクはこう回想しています。

「実際、東條は裁判に対する態度によって日本人の尊敬を再び勝ち得ました。すべての被告人には自分自身で弁明する権利がありました。東條は非常に長い、非常に印象的なスピーチをして、その中で、彼は、自分の動機や日本政府の政治的到達点について説明しました。東條は自分の責任を否定しませんでしたが、『アジア人のためのアジア』という概念、日本が敵対勢力に包囲されるようになっていた事実、そして石油の供給削減のため日本の命運に関わる利権が危機に晒されたことを強調しました。あのスピーチは2日間続きましたが、日本の人々の視線の中に東條の威厳を取り戻しましたね」

 東條英機としては自殺未遂は不本意だったでしょうが、笹川良一の登場によって思わぬ展開となり、歴史的に見ても「日本の立場」をはっきりと刻むことができたのです。



参考文献
 中央文庫「秘録 東京裁判」清瀬一郎(著)
 角川学芸出版「東条英機」太田尚樹(著)
 PHP研究所「板垣征四郎と石原莞爾」福井雄三(著)
 中央文庫「東京裁判とその後」B・V・A・レーリンク A/カッセーゼ(編)/(序) 小菅信子(訳)

添付画像
 東條内閣 昭和16年10月18日(PD)




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