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リットン調査団

リットン報告書の真実。


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 昭和6年(1931年)に満州事変が起こり、日本軍は満州を占領。そして国際連盟よりリットン調査団が派遣され、その結果、日本は悪いやっちゃ、満州国など認めない、となり、日本は国際連盟を脱退した。このリットン調査団によって「日本悪」が暴かれたかのように学校で教わった人が多いのではないでしょうか。

 しかし、リットン報告書の要約を見ると
「満洲に日本が持つ権益、居住権、商権は尊重されるべきである。一方が武力を、他方が「不買運動」という経済的武力を行使している限り、平和は訪れない」とあり、日本側の主張も取り入れた結論を出しています。満州は清王朝と共和国の対立や蒙古も絡んで複雑な事情があるのですが、日本の軍事行動に関して言えば、日本側の権益が侵害されたから軍事行動に移ったわけで、ちゃんと理由があるのです。ここのところは学校でもマスコミでも絶対に教えないところです。「侵略」というのは挑発されてもないのに、軍事行動によって他国の領土を占領することですから、「挑発」されたことを隠して、日本が「侵略」したように見せかけているのです。

 満州と支那は古来より別の土地で万里の長城によって区切られています。満州の権益は日露戦争によって多くの日本人が血を流した結果に得たものです。支那人は血を流していません。その支那人が軍閥となって辛亥革命に乗じて満州人の土地である満州を奪いました。そして居留する日本人に対して
条約違反、日系工場の強制閉鎖、設備破壊、鉱山採掘の禁止、日本人に対する土地貸与の禁止、森林採筏の禁止、鉄道運行妨害、強盗、鉄道施設の略奪、電線の略奪、朝鮮人の迫害等など仕掛けてきた結果、日本が軍事行動を起こしたのです。

 昭和8年(1933年)国際連盟はリットン報告書を採択し、満州国を認めない票決となった結果、日本は国際連盟を脱退することになりました。リットン報告書は日本の権益は認められるのでさほど悪くない話ですが、白人国家は虎視眈々と満州を狙っているのは明らかでしょう。
 杉山徹宗著「騙しの交渉術」によるとARA密約というのがあり、日本がリットン報告書を受け入れたときに白人国家らの間で密約があったことが書かれています。満州を分割してアメリカ、ソ連、フランス、ドイツ、イタリアがそれぞれ行政を行うというものです。白人の侵略があるから日本は満州国を譲れなくなり、国際連盟を脱退しました。

 その後、満州国を承認した国は20カ国あり、第二次世界大戦が始まった頃、独立国は60カ国にも満たなかったわけですから、世界の1/3は満州国を承認していました。その中にローマ法王庁も含まれています。バチカンのことです。ローマ法王庁はこの後の支那事変、大東亜戦争においても終始、日本寄りなのです。昭和12年(1937年)に支那にあるカトリック教会およびカトリック教会関係者に
「日本軍には惜しみなく援助しろ」と指示しています。これは「反共」という大きな目的もあり、ローマ法王は世界の大局をよく見ていたと思います。日本と満州は反共の砦になっていたのです。

 白人国家らの企みを「正義」としてみるから、満州国は否定されるものであり、リットン報告書は「日本悪」を断罪したもの、という史観ができあがり、我々日本人はその自虐史を刷り込まれているのです。大東亜戦争に日本が敗戦し、満州国は消滅しました。反共の砦がなくなった結果、支那大陸が赤化され、大躍進や文化大革命、ポル・ポトにより数千万人が殺戮されているのです。



参考文献
 PHP新書「世界史のなかの満州帝国」宮脇淳子(著)
 光人社「騙しの交渉術」杉山徹宗(著)
 祥伝社黄金文庫「東條英機 歴史の証言」渡部昇一(著)
参考サイト
 WikiPedia「リットン調査団」
添付画像
 中華民国の上海に到着した国際連盟日支紛争調査委員会調査団一行(PD)



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