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インド国民軍進め、デリーへ ~ インパール作戦

チェロ・デリー!


S1942



  昭和19年(1944年)3月20日自由インド政府チャンドラ・ボース

「インド国民軍はいまや攻撃を開始し、日本帝国陸軍の協力を得て、両軍は肩を並べて共同の敵、アメリカ、イギリスおよびその連合国に対し、共同作戦を進めつつあり。外国侵略軍をインドより放逐せざるを限り、インド民衆の自由なく、アジアの自由と安全はなく、またアメリカ・イギリスの帝国主義戦争の終息もなし。(中略)ここに自由インド政府は、インドの完全開放の日まで、日本の友情と共に戦い抜くべき厳粛なる決意を布告す」

  インド国民軍、約6,000人が
「チェロ・デリー(進め、デリーへ)」を合言葉にインパール作戦に参加し、日本軍第33師団山本支隊らとインパールに迫るパレルで奮戦しています。第33師団山本支隊はモーレ、タムを突破し、バレルへ進撃しました。佐間連隊、はティディムからトイトムへ、笹原連隊はシンゲルに進出し、開戦わずか一週間で1800両の英印軍自動車部隊を包囲。その後、33師団はビシェンプールへ進撃し、インパールへ迫ります。

  インパール作戦は結果から導き出された「無謀」という刷り込みが行われ、第15軍司令官の牟田口廉也司令官を悪者とする、戦後の日本陸軍悪玉論の格好の標的にされています。しかし、実際には日本軍の特務機関である光機関による諜報、宣伝活動によりインド国内世論の下地をつくり、インパール作戦でイギリス軍に一撃を与え、一気にインド国民の覚醒、蜂起を促すものでした。イギリス軍は日本軍の諜報活動を非常に警戒しました。そしてインパールの戦いではイギリス軍は戦線を縮小して戦力を集中して補給線の伸びきった日本軍を迎え撃つ作戦にでました。これは合理的で「イギリスのほうが賢い、日本陸軍は馬鹿」のように言われてきましたが、戦わずして領土を放棄することになり、インド国内に動揺を与えることに繋がり、非常に難しい判断だったのです。

  第31師団と行動をともにしたインド国民軍のアジミルシン大尉は国境を越えてインドに入った時、
「おお、わが祖国!」と土を両手で握りしめて喜びました。そしてイギリス軍内のインド兵の切り崩しと民衆宣撫を行いました。4人で一班を編成し、敵陣地に潜入し、メガホンで投降を呼びかけるのです。

 光機関・金子工作隊のエピソード

「朝点呼をとったら、インド兵が15人ほど多いのです。おかしいと思って調べたら、これが、なんと、ほんものの英印軍なんです。服装も同じだし、ことばも通ずるものだから、敵のインド兵が夜間偵察に来て紛れ込み、われわれのテントで寝ていたわけです」

  そしてアジミルシン大尉は
「われわれはチャンドラ・ボースを中心とするインド国民軍であって、インド独立のためにここまで来たんだ」と説明すると英印軍のインド兵はすっかり感激して「おれたちも一緒にやる」とそのまま工作隊に入ってしまいました。(この後寝返ってイギリス側へ戻ってしまった)

  この他こんなエピソードもあります。光機関の工作員が敵陣へ近づくと英印軍が射撃してきたため、インド国民軍の工作員が日本人工作員の前に立ちはだかり、大声で叫びました。

「日本人を殺すな。われわれインド人の独立のために戦っているんだぞ」
いったん射撃は止みましたが、また射撃してきます。今度は日本人工作員が立ち上げって両手を広げヒンズー語で叫びます。

「同胞を殺すな。撃つならまず俺を撃て。俺はお前たちに話しに行くところだ武器は持っていない」
そうすると今度はまたインド工作員が再び日本兵の前に両手を広げて立ちます。この繰り返しにとうとう相手は根負けし、英インド軍の一個大隊すべてが寝返ってしまったというものです。

  しかし、日本軍の進撃は4月までで戦線は膠着し、7月には遂に撤退命令がでます。

  インド国民軍は6000人、そのうちチンドウィン川まで到達できたのは2600人(要入院患者2000人)。その後戦死400人、餓死および戦病死1500人の損害となりました。

  日印双方の夢は費えてしまいました。しかし、このインパールの奮戦は後のインド独立の起爆剤となりました。

  英軍東南アジア総司令部司令官 ルイス・マウントバッテン大将

「かつて不敗を誇った日本軍も、半年の死闘に、戎衣(じゅうい:戦闘服のこと)も靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけだった。指揮の崩壊と飢餓に追い詰められたとき、前途に横たわるのは生き地獄だった。日本軍はインパールにおいて、また全ビルマにおいて敗れるべくしてついに敗れた。兵理である。しかし、そこには何かが残った」


「それは史学の権威トインビーが、いみじくも喝破した通りである。もし『日本について神が使命をあたえたものだったら、それは強権をわがもの顔の西洋人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』」


  征け征けデリーへ母の大地へ

  いざや征かんいざ祖国目指して

  征け征けデリーへ母の大地へ

  いざや征かんいざ祖国目指して

  進軍の歌は今ぞ高鳴る

  我等の勇士よ眦あげて

  見よ翻るよ独立の旗




参考文献
  展転社「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助(編)
  PHP「インパール作戦」土門周平(著)
  吉川弘文館「特務機関の謀略 諜報とインパール作戦」山本武利(著)
参考サイト
 WikiPedia「インド国民軍」
添付画像
 藤原岩市と握手を交わすインド独立連盟のプリタム・シン(1942年)(PD)



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征け征けデリーへ インド国民軍軍歌
http://www.youtube.com/watch?v=L4X2q4VAXJ0


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