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東京裁判が南京虐殺をデッチあげた

東京裁判で20万虐殺がデッチあげられた。


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 昭和12年(1937年)12月、支那事変は南京戦に突入し、「国民党中央宣伝部」が日本軍の残忍な所業として宣伝本や新聞記者を使って宣伝しましたが、そのようなトンデモ話など信じられてはいませんでした。ところが戦後になって突然、東京裁判でとりあげられます。そしてGHQの宣伝番組「真相箱」の放送によって日本国民に知らされます。昭和12年当時に南京にいた新聞記者や兵士はこれを聞いてびっくり仰天することになります。

「陥落前の南京」真相箱
「わが軍が南京城壁に攻撃を集中したのは昭和12年12月7日でありました。これより早く上海の中国軍から手痛い抵抗を蒙った日本軍は、その一週間後にその恨みを一時に破裂させ、怒涛のごとく南京市内に殺到したのであります。
 この南京の大虐殺こそ、近代史上まれに見る凄惨なもので、実に婦女子2万名が惨殺されたのであります。
 南京城内の各街路は、数週間にわたり惨死者の流した血に彩られ、またバラバラに散乱した死体で街全体が覆われたのであります。この間、血に狂った日本兵士らは、非戦闘員を捕らえてあたり次第に殺戮、掠奪を逞しくし、また語ることも憚る(はばかる)暴行を敢えていたしました。・・・」


 南京戦時に南京を取材していた東京日々新聞、佐藤振寿カメラマン
「たまたま聞いていましてね。テーマ音楽にチャイコフスキーの交響曲(ベートーベンの誤り)が流れた後、機関銃の音やキャーと叫ぶ市民の声があって、ナレーターが、南京で虐殺がありました、と言うのですよ。これを聞いてびっくりしましてね。嘘つけ、と周りの人に言った記憶があります」

 真相箱の語るような南京の光景を見た人は一人もいません。この真相箱の巧妙なところは事実の中にウソを混ぜてあたかも本当のことのように見せたり、大本営がウソの報道したことなどを取り上げて、真相箱が言っていることは真実だ、と見せてしまうことです。(戦争当時どの国も軍事的報道はコントロールするもの)

 東京裁判では南京事件は12万7000人の犠牲者がでたとして判定しています。
「後日の見積によれば、日本軍が占領してから最初の6週間に南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。これらの見積が誇張でないことは、埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸が、15万5千に及んだ事実によって証明されている・・・」

 この埋葬死体というのは

 紅卍字会 43,071
 崇善堂 112,366

 上海派遣軍参謀大西一大尉は南京の特務機関として支那のさまざまな問題に対応する日本側窓口として南京市民の実態を把握していましたが、大西氏は
「紅卍字会が中心に埋葬していた。崇善堂(すうぜんどう)は知らない」と証言しています。
 昭和60年に支那の資料によって崇善堂の埋葬活動がほとんどなかったことがはっきりしています。でっちあげだったのです。紅卍字会の埋葬記録にも捏造の跡があります。歴史学者の北村稔氏の調査でも満鉄特務班の報告と5000体余り差が出ていると指摘しています。埋葬死体には当然、戦闘による死者も含まれているでしょう。支那の何應欽軍政部長の軍事報告資料では南京戦死者は約33,000です。紅卍字会の捏造したと見られる埋葬数は6,468です。

 でっちあげのウソによって東京裁判で上海派遣軍司令官・松井石根大将は死刑となり、処刑されたのでした。



参考文献
 小学館文庫「南京事件の総括」田中正明(著)
 小学館文庫「『真相箱』の呪縛を解く」櫻井よしこ(著)
 小学館文庫「『南京事件』日本人48人の証言」阿羅健一(著)
 日新報道「南京の実相」日本の前途と歴史教育を考える議員の会(監修)
 文春新書「『南京事件』の探求」北村稔(著)

添付写真
 昭和60年8月10日産経新聞が報道した阿羅健一氏のスクープ記事 日新報道「南京の実相」より


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紅卍字会の不自然な数字。下段右の6,468。場所と備考が空白。日付は12月28日となっているが、この日は雪が降っていた。

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