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日本兵士を讃えるインドの人たち

日本軍がやってくるのを待っていた。


Photo_2


 ジャーナリストの高山正之氏がバングラディシュのチッタゴンを訪れたとき、地元有力紙「アザディ」の主幹モハマド・ハレドさんがこういいました。


「日本軍が来るのをみんなが待っていた」


 大東亜戦争当時、バングラディシュ(当時はインド)のあたりに日本陸軍一式戦闘機「隼」が空からビラをまきます。それには「日本は起てり!アジアの同胞として白人との戦いに決起せよ」と書かれていました。ハマド・ハレドさんはそのビラを大事に持っていました。そして日本軍がやってくるのをいつかいつかと待ち続けます。ところがやってきたのはインパールやコヒマで敗れた日本軍傷病兵ばかりでした。治療しても助からず現地の人は日本兵を埋葬し墓を建てました。墓碑には日本兵が持っていた遺留品に書かれているカタカナやひらがなが刻まれているそうです。


モハマド・ハレドさん
「6万にのぼる日本兵戦死者は決して犬死ではなかった」


 昭和19年(1944年)3月、日本軍はインパール作戦を発動。険しいアラカン山脈を越えてインパールへ向かいました。佐藤幸徳中将率いる第31師団はインパール北のコヒマを攻略しました。しかし、山脈越えなので補給がままならず、時間が経てば経つほど不利になり遂に撤退します。その後、コヒマに紫の花がいっせいに咲きました。この花は生命力が強くて繁殖力があり、少々のことでは枯れず、群生して仲良くいっせいに花をつける花でした。現地のナガ人はこの花に「日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)」と名づけました。武器弾薬の補給が途切れ、素手に近いような装備で敵の戦車を鹵獲(ろかく)する日本兵の敢闘精神、敵の圧倒的優位な武力にも屈することなく、最後まで組織的に戦った日本兵と二重写しになったのです。


 コヒマでは日本軍が擱座(かくざ)させたイギリス軍のM3グランド戦車が保存されています。アラカン山脈を越えてきた日本軍部隊は対戦車火器を持っていなかったため、布団に黄色火薬を詰めた即席対戦車地雷をキャタピラのしたにほうりこみ、敵戦車を破壊していました。現地の住民は来訪者があるたびに、「これは昔、日本のマスターがやったんだ」と我がことのように自慢しているそうです。


 インパールの北16キロにあるマパオ村では毎年インド独立のために散った日本兵士を慰霊する祭りが行われ、「日本兵士を讃える歌」が歌われています。




日本兵士を讃える歌


作詞作曲  マパオ村村民


日本語訳  古田中 勝彦


一、


父祖の時代より


今日の日まで


美しきマパオの村よ


いい知れぬ喜びと平和


永遠に忘れまじ


*合唱(繰り返し)


美しきマパオの丘に


日本兵来り戦えり


インパールの街目指して


願い果たせず


空しく去れり


二、


日本兵


マパオの丘に来る


それは四日の火曜日


一九四四年のことなりき


我は忘れじ四月のあの日


三、


罪なき民も散り散りに


西に東に追いやられ


再び神の恵を受け


集まり住まん


この地マパオに


四、


広島の悲報


勇者の胸をつらぬき


涙して去れる


日本の兵士よ


なべて無事なる帰国を


われ祈りてやまず




参考文献
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人 高山正之(共著)
 転展社「世界から見た大東亜戦争」名越ニ荒之助(編)
 PHP「インパール作戦」土門周平(著)


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今もインドで歌われる日本兵を讃える歌
http://www.youtube.com/watch?v=__7fG0aqJDk


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