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すばらしかった日本の教育 ~ 台湾

教師が教育に情熱を傾けていた。


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 台湾は日清戦争後の明治28年(1895年)の下関条約によって日本領土となりました。植民地ではなく、内地延長型として統治されました。したがって、教育についても近代的国民教育の導入が行われました。それまで台湾は「書房」と呼ばれる庶民階級の子弟教育の場がありましたが、内容は明治維新前の寺子屋レベルにとどまり、設備も貧弱なものでした。日本統治になると「公学校令」が公布され最初に55校が作られ、中等教育、高等教育の学校が作られていき、台北帝国大学が設立されました。昭和18年(1943年)には義務教育制度が敷かれています。

 台湾の日本統治時代を知る人の著書にはいずれも日本教育のすばらしさを書いています。これは制度だけでなく、教師の教育にかける情熱、教育の質の高さを称賛しています。
 台湾で行われた科目を拾ってみますと算数、理科、会話、音楽、体育、国語、地理、歴史、薙刀、裁縫。台湾中部の人口2,3万程度の町の清水公学校では昭和10年(1935年)には校内有線放送学習という授業科目が用意され各教室にはスピーカーが備え付けられ、校長室から様々な童謡、詩吟、筑前琵琶、薩摩琵琶、浪速節、ラジオドラマ、神話、日本の歴史などの教育プログラムが放送され、耳で学習することもできるようになっていたというから驚きます。ニュースの聞き取りといのもあり、聞き取り能力や時事の理解力も育成しています。台湾の子供たちの作文を子供たち自らラジオを通じて日本全国に放送したこともあったようです。そして、修身を通して「正直」「勤勉」「責任」「勇気」を教えるという教育があり、これが戦後、「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉につながっていったのでしょう。

 教育勅語も称賛されています。現在でも私立学校で教育勅語の精神を取り入れているところもあるそうです。

<日本人はとても素敵だった>楊 素秋著より教育勅語について
「これは本当にすばらしい教えです。人の歩むべき道が全部その中に入っています。まず、国を大切にしなさいと。親に孝行しなさいというのは修身の時間でも昔から教えられていました。親孝行をし、勉学に励んだから、昔の偉人は立派な人になったのだ、と。「教育勅語」を今の子供達の教えたら、曲がった精神の持ち主も、少し真っ直ぐになるのではないかと思います。この中に含まれている奥深い意義は何一つとして悪いことは無いからです。本当によいお手本、これほどのすばらしい教えはありません。私はバイブルより素晴らしいと思っています。
(中略)
 それなのに、もともとは日本から来たこのすばらしい教本を、日本人の皆さんが蔑ろにしているのはおかしな話です。台湾にいる私たちがそういうのは、皮肉な話ですね。
 日本人は、教育勅語の意味を一句一句細かく砕いて伝えるべきです。もっとも、それには日教組が反対するでしょうが、そんな日教組を置く必要があるのか疑ってしまいます。是非、再考していただきたいと思います」


 教育勅語は軍国の象徴のようなことをいう風潮がありますが、実際読むと
「何で?おかしなこと書いている?」と思うでしょう。私は家族崩壊や学級崩壊、少年の非行などは子供の頃から教育勅語をしっかり教えれば激減すると思っています。私の子供の机には教育勅語を貼り出しています。母子喧嘩、兄弟喧嘩があるたび、「教育勅語を読め」と叱っています。



参考文献
 小学館文庫「台湾人と日本精神(リップンチェンシン)」―日本人よ胸を張りなさい 蔡 焜燦(著)
 桜の花出版「日本人はとても素敵だった」楊 素秋(著)
 扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
添付画像
 蕃童教育所 原住民児童への教育機関(PD)


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