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闘将・角田覚冶、テニアンで戦う

一機の飛行機もなくなったテニアン基地。


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 昭和19年(1944年)6月15日、アメリカ軍はサイパン島に上陸。テニアン島はサイパン島からわずか5キロのところにあります。海岸には水面が見えないほどのアメリカ艦隊で埋まり、全島に砲撃の黒鉛が立ち上がり、無数の米軍将兵が上陸用舟艇から海岸へ飛び降りるさまがよく見えました。

 第一航空艦隊司令長官の角田覚治中将は参謀長の三和義勇大佐を呼んでこういいます。
角田中将
「参謀長、一航艦の各基地に電命を打とう。全機発進、敵機動部隊を攻撃せよ、だ」
三和大佐
「長官、それは・・・」

 第一航空艦隊は連合艦隊の指揮下にあるので、連合艦隊の指令にないことを命令することはできません。すれば違反として軍法会議にかけられます。連合艦隊はマリアナ基地の全航空兵力を投入してアメリカ艦隊と最後の決戦をする予定でした(19日にマリアナ沖海戦)。しかし、連合艦隊はまだ後方にいます。連合艦隊が来るのを待っていたのでは、テニアン基地が攻撃を受けて戦わずして航空兵力が壊滅する可能性があります。

「かまわん、命令違反だろうと抗命の罪はこの角田が負う。いずれテニアンもサイパンと同じ運命を迎えるだろう。このまま待機して戦闘もせず敵の餌食になれというのか」


 そしてテニアン飛行場から戦爆部隊の百余機が残らず敵艦目指して飛び立っていき、ほとんどは未帰還となり、第一航空艦隊は壊滅しました。

 7月7日、サイパン玉砕。7月11日からテニアン島は空襲を受けます。そして艦砲射撃も激しくなります。そして7月24日、アメリカ軍の上陸用舟艇がテニアン港に百隻以上接近してきて、日本軍が砲撃して一旦撃退。ハゴイ港からもアメリカ軍が上陸してきて、守備隊が応戦します。そして夜になると夜襲を敢行しました。

 米軍はゆっくりとしたスピードで北から南へ進んできました。日本側は軍民、南へ南へ追い詰められていきました。第一航空艦隊はもはや戦力にはなりません。角田中将も幕僚も南へと歩いて移動していきました。

 第一航空艦隊飛行士の横森直行少尉はこのときのことを次のように書いています。
「この間に見た数々の様相は、地獄の一丁目とも思われるもので、何十年たっても忘れない。
 暗闇に黙々と歩く列があった。荷物を持ったもの、持たぬもの、車をひくもの、いろいろいるが、目的もなく歩いているようだ。ときどき米軍の撃った照明弾が上がる。パラシュートがついていて、ゆっくり降りるが、青白がかっていて実に明るい」


「行列はこのとき、だれいうともなく停止する。何か悪いことでもしているように、お互いの視線をさけている。なぜか皆の目が海軍の軍服を着ている私にきびしいようである。
 誰も一言もしゃべらない。止まっているときは目をつぶって溜息をつくだけである」


 人々は黙々と島の最南端「カロリナス山地」へ向かっていきました。



参考文献
 光人社「提督 角田覚冶の沈黙」横森直行(著)
 PHP研究所「歴史街道」2008年8月
   『抗命の罪はこの角田が負う テニアン島で最後まで闘志を失わず』野村敏雄
添付画像
 破壊されたテニアンの集落(PD)


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