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ひめゆり学徒隊

ひめゆり隊とは?



S1930

 昭和20年(1945年)3月23日、沖縄県立第一高等女学校の女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は沖縄陸軍病院の看護要員として動員されました。(志願による) これが後に言う「ひめゆり学徒隊」です。


 昭和19年(1944年)7月、沖縄県では在郷軍人会による「防衛隊」が編成されます。これは軍人ではなく、義勇隊になります。第二国民兵役によって行われた防衛召集は軍人となり、二等兵の階級となります。この防衛召集は二万人余りとなり、沖縄防衛軍の1/4に相当します。
 昭和19年(1944年)12月に軍と県は学徒の戦力化について協議を行い、男子下級生に通信訓練、女子上級生に看護訓練を実施しています。身分は軍人、軍属として取り扱うと決定しています。当然給与が支給されます。男子学徒1780人、女子学徒581人です。
 


 女子学生は友達とは一緒になりたいけど、親とは離れたくない、苦衷(くちゅう)があったといいます。ひめゆり隊が南風原(はえばら)陸軍病院の勤務についたことを伝え聞いた生徒は、アメリカ軍機の爆音が去り、夕闇の迫るのを待って、南風原にはせ参じました。勇みたつ娘にひかれて、別れを惜しみつつわざわざ病院まで送り届けた父兄もいました。当初は患者数が少なく、生徒の数も多くは必要としなかったし、生徒壕は超満員になったので、その後にやってくる生徒に対して引率教師は「あなたがたが国難に馳せ参じる気持ちはよくわかる。しかし壕はこの通り超満員だ。帰ってはどうか」と追い返したりしています。生徒はなかなか去ろうとはしませんでしたが、やがてあきらめてすごすごと帰っていきました。


 「ひめゆりの塔」という小説、映画がありますが、これらはフィクションです。昔読んだ(読まされた?)はずですが、すっかり忘れてしまっています。恋愛感情がつづられているようですが、実際には負傷兵の看護で恋愛感情なんてどころではなく、ひめゆり生き残りの人は「当時は恋愛どころじゃなかった。戦争ってそんなのんきなものだったのかと思われるのは心外です。」と語っています。あくまで小説は小説、歴史は歴史としてみたほうが良さそうです。


 沖縄大学教授の宮城能彦氏によると沖縄で沖縄戦を少しでも美談にすると「また同じ戦争がおきるということで、とにかく前の戦争を全面否定し、美化するヤツは戦争をしたい人間だといわれるのだそうです。「いや国のために戦ったのは事実じゃないか」というと「殉国美談にするつもりか」と返されるそうです。だから「ひめゆり隊」は国のために戦おうと思った感覚を全否定され、「当時の皇民化教育に染まってしまい、騙されて連れていかれた哀れな被害者。悪いのは騙した人たち」にされ、ひめゆりの遺書も記念館で読めるようになっていたのを隠してしまったといいます。




参考文献
 PHP「沖縄戦集団自決の謎と真相」
     『沖縄戦における軍民関係』原剛
     『ひめゆり伝説を再考する』笹幸恵
 小学館「誇りある沖縄へ」小林よしのり(企画/編集)
 角川文庫「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善(著)
参考サイト
 WikiPedia「ひめゆり学徒隊」


添付画像
 昭和5年(1930年)頃の沖縄の女性(PD)


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