かつて日本は美しかった

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戦後を席巻した「青い山脈」的思考

GHQが埋め込んだ爆弾は3年半前爆発した。


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 5年程前、大東亜戦争日米開戦時の首相、東條英機の終戦直前の手記が国立公文書館で発見されたというニュースがありました。。全文は読めておりませんが政府のポツダム宣言受諾に対して「新爆弾に脅え、ソ連の参戦に腰を抜かし・・・」「もろくも敵の脅威に脅え、簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者及び国民の無気魂なりとは、夢想だもせざりしところ」と書かれています。多くの人は“東條という人は戦争をはじめて日本を焦土にしたにも関わらず、まだこのようなことを言っていたのか”と思うことでしょう。「東条英機」を書いた太田尚樹氏もそういっており、「読むに堪えない」と述べています。しかし、それは戦後、GHQによるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)で洗脳されているからそういう思考になるのだと思います。当時の国民は抗戦意識が非常に強く、東條英機の言葉は国民感情と一致しています。


 陸軍中将・石原莞爾は戦後、米、英、ソの検事の臨床尋問を受けたとき、東條英機と意見が対立していたというではないか?という問いに対し「東條には思想も意見もなく、意見のない者と対立はない」と言っています。陸相だった宇垣一成も似たようなことを言っていますので、東條英機は組織の目的に忠実に生きることを主とした人だったのでしょう。だから聖戦完遂(せいせんかんすい)の意識が強かった、国民も同じように強かっただけのことです。そして終戦に際しても国民は米に対して不服従の意思でした。


 国民の心に変化が現われはじめたのは評論家の西尾幹二氏(昭和10年生まれ)によると昭和23年頃でアメリカは憧れの国に変化したと述べています。チューインガム、ホットドッグ、映画「ターザン」、ヒッチコックの映画、西部劇、大リーガーなどがもてはやされるようになりました。厳しい検閲焚書公職追放、東京裁判、GHQ憲法、神道指令、などの政策にはまっていったのと、食べるものをはじめとする物資は米国に頼らざるを得なかったし、もともと日本人には異邦人を憎むという感覚は持っていなかったのもあるでしょう。


 そしてこんな歌がヒットします。


 青い山脈(昭和24年)作詞:西條八十 作曲:服部良一


  若く明るい歌声に なだれは消える花も咲く
  青い山脈 雪割り桜
  空の果て 今日もわれらの 夢を呼ぶ


  古い上衣よさようなら 寂しい夢よさようなら
  ・・・


 「青い山脈」は昭和22年(1947年)、新聞小説として“朝日新聞”に連載され、昭和24年(1949年)には映画化され、主題歌の「青い山脈」も大ヒットしました。京都大学名誉教授の中西輝政氏は、この「青い山脈」は「悲しいことは全部人生からなくしていける、『憧れ』というか、過剰なまでに膨らんだ『脱歴的期待感』というか、“理想の日本”がいますぐ、そこまできているという気分が横溢(おういつ)しています」と述べ、「『戦後理想主義』の偽らざる姿」「その裏には『反戦』と結びついた社会主義礼讃の風潮が隠されていた」と指摘しています。日本人は大東亜戦争以前のことは「古い上衣」「悲しい夢」として“さよなら”し、新たな「理想主義」に転向したのです。その日本人のナイーブさに社会主義的理念が入り込んでいったわけです。「青い山脈」の向こうに「赤い星」を見ていたのです。それはベルリンの壁が壊れるまで続きました。ベルリンの壁が壊れても埋め込まれた「戦後理想主義」は団塊世代が最も影響を受けており、その世代が国や経済の中心としての位置を占めたとき、政権交代がおこったわけです。それは3年半前のことでした。



参考文献
 角川学芸出版「東条英機」太田尚樹(著)
 「歴史読本」2009.9『石原莞爾の生涯』阿部博行
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 PHP新書「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政(著)
参考サイト
 WikiPedia「青い山脈 (歌)」


添付画像
 映画『青い山脈』の杉葉子と原節子(右)(PD)


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青い山脈 (1949)
http://www.youtube.com/watch?v=bAKmKJxtWZg


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日本なかりせば

日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。


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 昭和30年(1955年)、アジア・アフリカ二十九カ国が集まり、バンドン会議が開催されました。日本は招待されました。敗戦後間もない日本でしたから慎重論が多かったのですが、高崎達之助経済審議庁長官や外務省参与の加瀬俊一氏らが出席しました。加瀬氏は日本はいいこともしたけど、わるいことをしなかったわけじゃないので、あまり気が進まなかったと回想しています。ところが、日本は大歓迎を受けました。

「よくきてくれた!」
「日本のおかげだ!」
「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった!」
「大東亜共同宣言がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた」
「アジア民族のために日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く」


 平成17年(2005年)、バンドン会議50周年を記念して開かれたアジア・アフリカ会議・小泉首相(当時)は次のように演説しました。
「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」・・・まったく的外れな演説をしたものです。


 平成4年(1992年)10/14 香港にて マレーシア マハティール首相のスピーチの一部
「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
 もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう」


 このマハティール首相の演説は暗に大東亜戦争のことも含まれています。この演説を聞いた白人は怒って席を立ち会場を出て行った人もいたといいます。
 マハティール首相は「ルック・イースト」政策(日本を見習え)を実施し、東アジア経済会議(EAEC)を提唱しており、この「日本なかりせば」演説はアメリカをを警戒させました。クリントンの圧力によって河野洋平が走り回り、「白人も華僑も入れよ」などとほざきました。


 平成6年(1994年)にマレーシアに訪問した村山富市首相(当時)、土井たか子衆院議長(当時)は型どおり謝罪するとマハティール首相はこう述べました。


「日本が五十年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ」
「日本に対して今さら戦後賠償を求めるようなことは、わがマレーシア国民にはさせない」


 このマハティール首相の言葉に村山総理は何の言葉も返せませんでした。しかも村山総理はシンガポールで華僑ゲリラの慰霊碑に謝罪を述べています。死者に対して慰霊するのは構いませんが、違法であるゲリラに謝罪するなどキチガイ行為です。東南アジアは華僑を追い出すのに多大な苦労してきており、ゴキブリのように侵入してくる華僑をブロックしたい思いがあります。


 マハティール氏
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」


 麻生元総理は日本がリーダーシップをとる「自由と繁栄の弧」を主張しました。ところが、3年前半の政権交代で鳩山総理(当時)はシナ様を盟主とする東アジア共同体構想を出してきました。小沢幹事長(当時)が人民解放軍野戦司令官になるというのですって???


 「ルック・イースト」政策から30年。もはやマレーシアでは日本から学ぶものは「先端技術」のみであるという声さえ聞かれます。昨年末、新政権が誕生し、日本は新たな門出を迎えました。再び立ち上げれ、ニッポン!



参考文献
 桜の花出版「アジアが今あるのは 日本のお陰です」桜の花出版編集部(編)
 WAC「自らの身は顧みず」田母神俊雄(著)
 小学館「アジア人と日本人」大前研一(著)
 オークラ出版「反日マスコミの真実2010」『誰のための東アジア共同体か』高山正之
 WAC「渡部昇一の昭和史」渡部昇一(著)
 読売新聞10月31日朝刊「マレーシア『日本流』岐路」
参考サイト
 「日本なかりせば」演説
   http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/maha.htm
 WikiPedia「マハティール・ビン・モハマド」


添付写真
 マハティール・ビン・モハマド(PD)


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知識は力なり

知っている、ということは強い。


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 「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)でれい子さんが列車の食堂車でたまたまベルギー人にワインをおごってもらったときの話が面白いです。


ベルギー人「ところであなたは日本人ですね」「イロイトは元気ですか?彼が昔アムステルダムへ来たとき、どんな男か見に行ったっけ。ずいぶん昔のことだなあ」
れい子「イロイト?ああ、昭和天皇のことですね。彼はもうなくなりました。1989年ですよ。私の伯父がなくなったのと同じ年だったからよく覚えています」


ベルギー人「そうか、それは知らなかった。ところで昔、我々は日本人と戦争をした・・・」
れい子「我々って?ベルギーが日本と戦争をしたということですか?」
ベルギー人「私の父はベルギー人だが、母はオランダ人。私は戦争中、インドネシアで生まれた」


つまりインドネシアでオランダと日本が戦争をしたということを言っています。


ベルギー人「我々は長年にわたってインドネシアにたくさんの投資をした。それを日本は奪って、残忍のきわみを尽くした。なぜだ?」


 ヨーロッパ人というのは恨みは忘れないものだそうです。日本には「水に流す」という便利な言葉がありますが・・・。ベルギー人に対してれい子さんは日本の資源のないことや米英の経済封鎖をあげて説明しますが、ベルギー人は怒り出します。


ベルギー人「私はブリュッセルに住んでいるが、ありとあらゆる戦争の本を集めた。そのどれにも日本人は残忍なことが好きな人種だと書いてある」
れい子「それは何語の本ですか?」
ベルギー人「不幸にしてフランス語とオランダ語」
れい子「それはそれは本当に不幸でした。もしあなたがインドネシア人が書いた本を読めば、または日本人の書いた本を読めば、考えが変わるでしょう」


 実にうまい切り返しです。れい子さんはオランダのインドネシア支配や日本がオランダを追っ払ったことのほか、米英の経済封鎖の話も知っており、海外でも常日頃、日本代表の意識を持っています。昭和17年(1942年)生まれの方なので、戦後教育で東京裁判史観を刷り込まれているはずなのに隠された歴史に関して知識を持っています。だからうまい切り返しができるわけです。


 上智大学名誉教授の渡部昇一氏は「知識は力なり」と言っています。渡部氏のところに北朝鮮関連の問題で朝鮮人が押しかけてきて「おれたちは強制連行されたんだ!」と大声で言うので「ところで、あなたは昭和何年に日本に来たのですか」というと、黙ってしまったといいます。相手に知識があると糾弾しないということです。白人が糾弾してくれば「あなたたちのほうがもっと酷かったのだから、昔の話は止めましょう」と言えばいいと述べています。彼らは対日プロパガンダしかしらず、自分たちのやったことについては知識を持ち合わせていないのだそうです。


 田中角栄首相と中華人民共和国の周恩来首相が会談したとき、周恩来は「中国は日本を侵略しようとしたことはない」といいました。田中角栄は「では元寇はどうですか」と切り返しました。このとき周恩来は何もいえなかったといいます。政治家はかくあるべきでしょう。さらに提言すると中共が歴史を問題に出してきたらこういえばいいのです。「毛沢東主席は『日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです』といっていましたよね」※と。


※ 昭和39年に当時の社会党副委員長佐々木氏が北京を訪れたときの毛沢東と会見したときの発言記録。


参考文献
 講談社α新書「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史(正)」渡部昇一(著)
 WAC「渡部昇一の昭和史(続)」渡部昇一(著)
 中公文庫「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子(著)
添付画像
 浦佐駅にある元総理大臣田中角栄の銅像。2005年にはフードが設けられて、2005年10月29日に除幕式が行われた。2005年10月撮影。(CC)


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敗戦をバネに科学技術大国となった日本

日本人の記憶は作り替えられている。


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 大東亜戦争敗戦時、日本人はこう思っていました。


「日本は戦争に負けたのではない、科学の力に負けたのだ」


 科学の力・・・原子爆弾を指しています。そしてひそかに不服従の感情を持っていました。


 大東亜戦争で日本はよく科学技術を軽視していたと言われます。本質は重視軽視の二元論ではないと思いますが、敗戦を自省するにあたり科学技術力の不足を認めていました。昭和20年8月16日の朝日新聞には「科学や物量に敗れた・・・」という見出しが出ました。昭和天皇の終戦直後の回想でも「あまりに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと」を敗戦の一因として挙げています。私の祖父の記録にも「日本では“器用貧乏村宝”等と言って、技術者を馬鹿にする。精神一到何ごとか成らざんやとか神風とか言っていて最悪の無条件降伏をした。日本がこんなに良くなったのも技術の力である。指導者は反省すべきである」と書いています。戦争を知っている世代はこのような認識が強かったでしょう。


  よく敗戦時に庶民は「戦争がおわってホッとした」というのを聞きます。そういう人もいたでしょうが、おそらくこれは戦後日本が再び立ち上がらないようにするためのGHQ刷り込みで、「悔しい」が大方の気持ちだったでしょう。原子爆弾で街が壊滅した広島でも抗戦意識が強く、広島逓信病院の院長蜂屋道彦氏の日記にこう書かれています。


「日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていたものも、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的抗戦論者になっている。そこへ降伏ときたのだからおさまるはずがない。すべてを失い裸一貫。これ以上なくなることはない。破れかぶれだ。私も彼らのいうように徹底的に戦ってしかる後に、一死をもって君国に殉ずるのが私の本分であると思った・・・(中略)・・・降伏の一語は全市壊滅の大打撃より遥かに大きなショックであった。考えれば考えるほど情けない」


 戦後日本は「悔しさ」をバネに「科学技術」重視に向かい、技術立国日本を建設したといえます。


 1970年代オイルショックがあり、石油が高騰し、ソ連は巨額の資金を油田開発につぎ込みますが、原油価格は暴落し、投資は失敗となりました。それは日本の省エネ技術により日本の石油需要が増えなかったからです。日本は科学技術により省エネ大国に変貌し、ソ連は当てが外れてレーガン時代にはついに米国に屈服することになります。評論家の日下公人氏はかつてモスクワ大学経済学部を講義で訪れた際に多くの教授たちと懇談したとき、彼らが異口同音にこう言っていたと述べています。

「われわれが負けた相手はレーガンではない。日本の省エネ技術と省エネ生活に負けたのだ」


 敗戦の悔しさをバネに日本が科学技術に力を注いだ結果、今度は勝ったのです。


 しかし、歴史はGHQによって書き換えられており、大東亜戦争は「終わったとき、みんなホッとした」「最初から無謀な戦争だった」になってしまっています。戦争を知っている世代は実体験の悔しい思い、科学技術の重要性を実感した記憶がありましたが、知らない世代は記憶がありませんからGHQによって創られた歴史を信じています。現に3年前政権交代があり、国民はマスコミが面白おかしく報じる「仕分けショー」で「科学技術」の予算が削られていくのをヤンヤヤンヤと手を叩いて喜んでいる痴呆ぶりを見せています。日本が日本人自身により弱体化させる姿を世界が不思議がり、ほくそ笑んでいることに気づいていませんでした。その後ノーベル賞受賞などで幾分か目覚めた程度です。「歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」と誰かが言いましたが、まさにその通りになりつつあります。



参考文献
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 文春文庫「昭和天皇独白録」
 幻冬舎「昭和天皇論」小林よしのり(著)
 祥伝社「日本人の覚悟」日下公人(著)
 展転社「世界からみた大東亜戦争」名越二荒之助(編)


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 原子爆弾で廃墟となった広島(PD)


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世界が恐れを抱く日本

先人が残してくれたもの。


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「日本は、アジア、アフリカで一度も植民地にならなかった稀有な国だ」


 欧州人はこういう認識を持っており、ごく一般に言われていることなのだそうです。日本ではこんなことは言われないでしょう。あくまで「日本悪しかれ」と政治家もマスコミも学校もGHQの捏造歴史を通してしか語りません。


 デュラン・れい子(著)「一度も植民地になったことがない日本」は外国人が日本をどう思っているかというのが見えてきてなかなか面白いです。
 平成13年(2001年)9月11日、911テロのときです。事件はニューヨークでおきましたが、フランス・パリではいつも混んでいるカフェはガラガラ。イタリアの新聞はこのテロを「KAMIKAZE」と報じました。テロと神風を一緒にしてほしくありませんが、彼らにはイスラムもヤマトも理解不能でごっちゃなのでしょう。この後、フランスで「浅間山荘事件」が報じられたといいますから、欧州人は戦後60年以上たってもどこか日本を恐れ抱いている部分があるのでしょう。


 米国でジャーナリストが20世紀の最も印象深かった出来事は何か?というアンケートをとったことがあり、結果上位は以下の通り。


1.広島、長崎の原爆投下
2.アポロの月着陸
3.パールハーバー(真珠湾攻撃)


 これは深層心理で日本を恐れている、復讐されるのではないかという気持ちの現われではないでしょうか。


 平成20年(2008年)8月。米のライス国務長官(当時)が東京へ飛んできて2日滞在しましたが、なぜ突然来たのか誰もが不可解に思ったようです。どうもその10日前に麻生外相(当時)がワシントンに行ってライス長官に「アメリカが拉致問題を粗末に扱うなら、日本人は原爆所有を考えるようになります」と言ったらしい。来日したライス長官は一生懸命「アメリカの核の傘下を信じよ」と訴えました。日本の核武装を最も恐れているのは米国であり、深層心理で日本の復讐を恐れているのだと思います。


 白人らが日本を恐れ抱くのならどんどん利用してやればいいと思います。英霊たちが命を捧げて残してくれたものでしょう。ジャーナリストの高山正之氏は「日本は再び軍国主義に向かうのか?」(笑)と質問してくる外国人に対してこう答えているそうです。


「それはあなたたち次第だ。日本は、相手が紳士的に振舞う国であれば紳士的に付き合う。もし野蛮な、理不尽なことを押し付けてくるようならば、こちらもそれに応じて変化する。日本の軍国主義の復活を心配するというのは、あなたがたの中に日本に対して理不尽なことをしているという自覚があるからではないのか」


 日本外交は高山氏のいうスタンスでよいと思います。ただ、その前に日本国内で戦後のGHQの政策に洗脳され、反日イデオロギーに犯された「日本悪しかれ観」を持った人らをなんとかせんといかんでしょう。



参考文献
 講談社α新書「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子(著)
 PHP「アメリカはどれほどひどい国か」日下公人・高山正之共著
 祥伝社「日本人の覚悟」日下公人(著)
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之共(著)
添付画像
  出撃直前(悪天候で翌日に延期)の第72振武隊の少年兵(PD)


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